本記事は、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。最終話までのネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
「死」よりは広くて「お別れ」がテーマなのだろう。だからこそ最後に選べるだけ幸せという言葉が書かれたようにも思う。生きている時のお別れ=卒業/巣立ち。
<竃門炭彦の夢(第205話)>
炭彦が死別したおばあちゃんに会いたいと思って夢の中にいたいと感じているのもまた鏡面なのだろう。
炭治郎は死別した家族と夢の中で再会し、ずっといたいと願いつつも、何度も自決し、夢を終わらせた。
愛する家族と一緒にいたくても、使命を果たすために、少年は家族と繋いだ手を離し、旅立たなければならない。そのようなメッセージは繰り返し描かれていたようにも思う。
炭彦もまた、使命(皆勤賞)のために現代の竃門家を旅立ったということだろう。
『鬼滅の刃』第205話©吾峠呼世晴/集英社 |
<「お別れ」がテーマの物語という仮説>
物語として力点をおかれていたのは、家族に別れを告げて旅立つ方なのかもしれない。縁壱の兄上に対するお別れの挨拶もそうだ。
「死」よりは広くて「お別れ」がテーマなのだろう。だからこそ最後に選べるだけ幸せという言葉が書かれたようにも思う。生きている時のお別れ=卒業/巣立ち。
継国縁壱と兄の継国巌勝がお別れしたのは7歳の時だ。そして10年後うたと結婚し、死別し、入隊し、兄上と再会した。18歳くらいなのかなぁ。高校生か大学生くらいということだろうか。…みんな若い…。
当時のお館様は6歳…。きりやくんは8歳…。現実味がわかない…。6歳児とは小学1年生…
「お別れ」がテーマの物語(と思われる)で水兄弟については「出会い」はしっかりかかれたけれど、「お別れ」は曖昧模糊として終わった。多分挨拶が描かれた継国縁壱との反転で、竈門炭治郎はお別れらしい言葉は告げず、「髪切ったんですね」という他愛も無い日常の会話だけして出発した気がする。
以前は彼らの最後の会話を見れなくて残念だったのだけれど、今となっては、彼ららしいなとも思う。会話があったのかもしれないけれど、本当に言葉にはのせず、心のなかでお互い「大切な人」だと思ってお祈りしあっていたような気がするな。彼らは言葉も必要なかったのだろう。
<再会はありうるのか?>
竈門炭治郎にとって富岡義勇は「父のような兄のような」存在なのだから再会してもおかしくない気もするけれど後日談で出てくるのかな。どうだろう・・・。あの桜のシーンの富岡義勇がひたすらお美しいのであのままで良い気もしたり。
継国縁壱が継国巌勝と再会したのと反転で、再会しないようにも思う。
後日談がどんなノリなのかにもよるのかなぁ…地獄インタビューはおそらくギャグパートだから後日談はシリアスだったりするのか?しかしファンブックというのは読者サービスのようなものだから多分死別はないだろう・・・いや、斜め上展開であるのかな?怖いなー早く読みたいよ。
<継国兄弟との鏡面>
継国兄弟
① 7歳時に別離。弟から別離の挨拶をする。
② 18歳頃に再会。弟が兄を助ける。
③ 兄出奔
④ 80歳頃に再会、死別
水兄弟
① 13歳と19歳の時に出会う
② 15歳と21歳の時に再会、兄弟子が弟弟子を助ける。
③ 弟弟子が出発。(おそらく別離の対話をせず。)
④ 再会?