本記事は、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。最終話までのネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
今回の考察内容
当ブログでは、『鬼滅の刃』のテーマを次の通りに解釈している。
本作品は、記紀神話(古事記・日本書紀)をモチーフとしつつ、根底に流れるのは大乗仏教的な倫理観である。表のテーマは鬼舞辻無惨という鬼の始祖との闘いを描く「鬼退治」、裏のテーマは、仏教的には「煩悩」を滅すること、また、家族関係としては「愛着関係の発展的解消」(選んで繋いだ手を離す)と考えられる。様々なテーマの重層構造である。
※ 鶺鴒(セキレイ)は国産みの時代にイザナギとイザナミを導いた鳥である。鶺鴒女学院はこれをモチーフとしているのだろう。
今回は、主要登場人物に当てはめてみたい。
※ イザナギ、イザナミ、カグツチとは
カグツチとは、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神。火の神であったために、出産時にイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。
結論:時代が神話のエピソードの順序と反転
最初に結論を書くと、時代が神話のエピソードの順序と反転しているのだ。だから最後の現代にセキレイが出てくる。振り出しに戻ったのだ。だからやはり205話は答え合わせなのだ。壮大なループの物語なのである。
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鏡面関係
継国縁壱とうた
【反転】冨岡義勇と炭治郎
時代
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神話の順序に置き換えると以下の通りである。
イザナギとイザナミによる国産み・神産み、カグツチの誕生とイザナミの死・・・大正時代
イザナギ=義勇
イザナミ=炭治郎
カグツチ=最後の赫刀
黄泉から還ったイザナギの禊ぎによる三貴子誕生・・・戦国時代
イザナギ=縁壱
イザナミ=うた
三貴子=日の呼吸、月の呼吸、その他の呼吸
物語の時系列で整理した場合
平安時代:「鬼のいる世界」の誕生 黄泉神=鬼舞辻無惨
鬼になり自我を失う=現世での死
鬼の世界=死者の国(黄泉)
鬼が人を食べる=死者の国(黄泉)のものを食べる(よもつへぐひ)
鬼が自我を取り戻す=現世での誕生
鬼の始祖である鬼舞辻無惨は、「死の影」に愛された存在だった(第201話)。
『鬼滅の刃』第201話「鬼の王」©吾峠呼世晴/集英社 |
※「青い彼岸花」は反転の符牒であろう。
戦国時代:黄泉から還ったイザナギの禊ぎによる三貴子誕生
「始まりの呼吸」の剣士縁壱
【神話】イザナギ(国生み・神生みした、始まりの神様)
黄泉から戻ったイザナギが禊ぎの時に自ら生んだ神を三貴子という。
アマテラス(日)左眼
ツクヨミ(月) 右目
スサノオ(海神、嵐神、農耕神) 鼻
神話のモチーフに当てはめると以下の通りである。
イザナギ=縁壱の「始まりの呼吸」
アマテラス(日)=日の呼吸⇒縁壱、竈門炭吉へ
ツクヨミ(月)=月の呼吸⇒継国巌勝
スサノオ(海神、嵐神、農耕神)=水の呼吸、その他の呼吸⇒鬼殺隊
イザナミ=うた
※ 水の呼吸の剣士である鱗滝と炭治郎の鼻がきくのはイザナギが禊ぎをしたときに鼻から生まれたのがスサノオだからだろう。
1)うた=イザナミの根拠
神話の順番で考えると「カグツチの誕生とイザナミの死」の後、イザナミに会いたくて黄泉国へやってきたイザナギは、黄泉のケガレにまみれたイザナミの姿を見てしまい、「あっ」と叫んで現世へ逃げる。その後の「イザナギの禊ぎによる三貴子の誕生」をモチーフとしたのが、一連の呼吸の派生である。
ここでのイザナミは、既に鬼籍に入った”うた”であると解釈している。継国縁壱は、うたの死をきっかけに鬼殺隊に入り、他の隊士に呼吸を教えるからだ。
2)スサノオ=他の鬼殺隊隊士である根拠
神話では、スサノオは粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された。
縁壱を鬼殺隊が追い出したのはつまり「日の呼吸」の使い手を失うということであり、いわば天岩戸神話の系譜である。どちらが追放するか反転しているだけで実質は同じである。
大正時代:イザナギとイザナミによる国産み・神産み、カグツチの誕生とイザナミの死
イザナギとイザナミによるカグツチの誕生とイザナミの死、そして黄泉国へ行ったイザナミが神格を得て「黄泉津大神」になり、イザナギを追いかける、という神話のエピソードが終盤のモチーフになっているようだ。
ただし、神話そのものではなく、「よもつへぐひ」をしなかったことなど反転している。
イザナギ・イザナミとの鏡面構造 冨岡義勇と竈門炭治郎の関係性 父のように兄のように(第199話、201話、第23巻の巻末)
神話のモチーフに当てはめると以下の通りである。
イザナギ=冨岡義勇
イザナミ=竈門炭治郎
カグツチ=最後の赫刀
鬼舞辻無惨=黄泉神
炭治郎が鬼となり自我を失う=イザナミの死亡
義勇は炭治郎の自我を取り戻したい=黄泉行
無惨を承継した炭治郎=黄泉神から黄泉国の主宰神の神格を譲り受けたイザナミ=黄泉津大神=「鬼の王」
1)イザナミ=炭治郎の根拠
黄泉国でのイザナミの別名が「黄泉津大神」である。死後、イザナミが死を司る神格を得て黄泉津大神になった。
黄泉神とイザナミの関係については同一と考える説と、黄泉国の主宰神が黄泉神からイザナミに交替したと考える説がある。
後者の説を採用した場合、「鬼の始祖」鬼舞辻無惨が竈門炭治郎に血と力を与え、「鬼の王」になるよう願って地位を継がせたことと重なる。
「鬼の始祖」=黄泉神=鬼舞辻無惨
「鬼の王」=死後の世界である黄泉の国を支配する神(黄泉津大神)=竈門炭治郎
2)カグツチは誰か?
義勇=イザナギ炭治郎=イザナミ無惨=黄泉神
義勇と炭治郎の二人で日輪刀を赫刀にして無惨を滅してその時に炭治郎が死亡したことを考えると、「カグツチ」=「最後の赫刀」であろう。
つまり、赫刀と手だけ映ったコマがあるけれど、あの最後の赫刀が神話でいうところのカグツチに相当する。
イザナギ=義勇
イザナミ=炭治郎
カグツチ=最後の赫刀
【神話】カグツチの誕生時にイザナミが死亡した
⇒最後の赫刀ができた時に炭治郎が死亡した
【神話】死亡したイザナミは黄泉の国で黄泉神から承継して黄泉津大神となった
⇒死亡した炭治郎は鬼の始祖たる鬼舞辻無惨から承継して鬼の王となった。
黄泉から逃げるイザナギは、ぶどう、タケノコ、桃の実3つに助けられるのだが、それぞれ次のように対応するのであろう。
ぶどうとタケノコ・・・伊之助と善逸
桃の実3つ・・・禰豆子、カナヲ、しのぶ
※ 冨岡義勇が竹林を稽古場にしているのは、イザナギが「筍」に助けられたエピソードにちなんでいるのかもしれない。
「鬼のいない世界」
「炭治郎戻って来い」という台詞はおそらく義勇のものである。戻って来いというのはつまり黄泉の国から戻って来いということである。
炭治郎が人間に戻る=「鬼の王」がいなくなる=黄泉津大神がいなくなる=黄泉の国が維持できなくなる=鬼のいない世界
ということである。
※ 実際に黄泉の国がなくなるわけではない。モチーフとしてということ。
神話と反転した世界
神話のイザナミとの根本的な違いは、
炭治郎は人間を喰わなかった=よもつへぐいをしなかった
ことである。
それゆえ、炭治郎は「戻ってくる」ことができた。
つまり、炭治郎に人喰いをさせなかったこと。これが義勇のなした最大の成果かもしれない。
現代:天孫降臨=太陽復権の完了
記紀神話に置き換えれば、戦国時代及び大正時代の物語で繰り広げられていたのは、イザナギ・イザナミによる国産み~カグツチの誕生~黄泉国~国譲りまでであり、最終的に現代において天孫降臨により完了する。
記紀神話モチーフ 現代を生きる転生者・子孫の神話上のモチーフについて 第205話(最終話)
鶺鴒(セキレイ)は国産みの時代にイザナギとイザナミを導いた鳥である。鶺鴒女学院はこれをモチーフとしているのだろう。
第205話
※ 鏡/転生/人物造形に与えた影響について
継国縁壱とうたの夫婦は、冨岡義勇と竈門炭治郎の時代を超えた鏡である。
戦国時代のイザナギが継国縁壱であり、大正時代のイザナギが冨岡義勇であることはわかりやすい。
縁壱零号のモチーフと思しき阿修羅像からすると、縁壱・義勇・義一という三人が三世にわたる転生をしたのではないかと推測させるものであった。しかし、第23巻において加筆された継国縁壱とうたの転生により、「縁壱⇒義勇⇒義一」という三世にわたる転生ルートは否定された。
戦国時代のイザナミはうたであり、大正時代のイザナミは竈門炭治郎である。
なお、縁壱の対となるべき人物は兄上とうたである。しかし、兄上は大正時代も生きているから炭治郎の前世ではない。縁壱が鬼殺隊に入るきっかけとなったのは「うた」である。
※ 冨岡義勇の左頬の痣の模様について
義勇の痣の模様は水の流れだと思うけれど、双子のようにも見えるし、三者のようにも見える。陰陽太極図とも似ている。継国双子や182話の表紙の構図とも似ている。おそらく義勇の抱える因果を表したものなのだろう。
第17巻第150話©吾峠呼世晴/集英社 |
参考文献
「是に、左の御目を洗ふ時に、成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ふ時に、成れる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ふ時に、成れる神の名は、湏佐之男命。」(そして、左の御目を洗った時に出現した神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗った時に出現した神の名は、月読命。次に、御鼻を洗った時に出現した神の名は、建速須佐之男命。)
"みそぎ② – 國學院大學 古事記学センターウェブサイト." http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%E3%81%BF%E3%81%9D%E3%81%8E%E2%91%A1/。アクセス日: .2021年1月25日。