本記事は、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。最終話までのネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
今回の考察内容
- 不死川実弥と冨岡義勇の鏡面構造
- 不死川兄弟と水の呼吸の兄弟の鏡面構造
- 「鬼のいない世界」の反転に伴う関係性の反転
- 「柱」として同じ目線に立つ同輩
- 巻末モノローグ「後ろめたいなんてそんなこと思わないで」
不死川実弥と冨岡義勇の鏡面構造
不死川兄弟と水の呼吸の兄弟の鏡面構造
不死川実弥の愛情表現は拗れてしまっている。
不死川玄弥は、鬼の能力を得てまで兄である不死川実弥を助けようとする。実弥は弟を救えなかったけれど敵をとった。
不死川兄弟の関係性の顛末は、悲劇的だ。
しかし、この兄弟は、最後に想いが通じあってお互い慈しみ合いながらお別れしたのだ。彼らもまた彼らの関係性を大正時代に成就したと考えた方がいい。だって前世の記憶はない世界軸なのだから。失った悲しみは、転生しようが慰謝されるものではない。
『鬼滅の刃』©吾峠呼世晴/集英社 |
その対比で考えると生き残った水兄弟は最後まで両片思いの兄弟愛だった可能性もある。だって「あなたも同じことを言うはず」だもの。「はず」、つまり通じていない。
案外そんなものかもしれない。テレパシーなんてネタみたいなもので。幾らファンタジーの世界でも。
お互いなんとなく相手の思いやり、好意は察しているけれど、敢えて自らの感情を言葉にのせることはなく、心のなかで言祝ぎを紡ぎ、お別れしたのかもしれない。
「鬼のいない世界」の反転に伴う関係性の反転
本作は「コインの表と裏」の物語である。
「鬼のいる世界」では、竈門炭治郎と不死川実弥は反目し合っていた。不死川実弥と冨岡義勇は打ち解けなかった。冨岡義勇は竈門兄妹の身元引受人であり、竈門炭治郎を、父のように、兄のように、守り続けた。
この構図は、鬼舞辻無惨から竈門炭治郎へ鬼の地位の継承が行われた時点で、変化する。
最終的に、「鬼のいない世界」となり、竈門炭治郎は冨岡義勇(保護者)から離れ、栗花落カナヲ(配偶者)の手を取り、結婚し、添い遂げたようである(第204話、第205話)。
冨岡義勇の「傍ら」にいる人物が、竈門炭治郎から不死川実弥に反転したともいえる。
「柱」として同じ目線に立つ同輩
冨岡義勇は、最初から終盤まで、竈門炭治郎の「兄」であろうとし続けた。
「また守れなかった」と言って涙した時まで、「兄」として炭治郎と手を繋いでいた(手を重ねている)。
けれど、鬼になって戻ってきた炭治郎と向き合う時、彼は、繋いだ手を離して、
後ろの「みんな」を守るために「兄」のアイコンをおろし、「柱」としての役割を全うした。
だからこそ「柱」の実弥とコンビを結成するのかもしれない。
鬼殺隊が解散しても本質は「柱」=「みんな」を守る者。
義勇の「柱は柱同士で手合わせしているんだ」(16巻136話)も伏線なのだろう。
「柱」の義勇の相手は「柱」の実弥ということである。
義勇・炭治郎は、「柱稽古」をつけるもの、つまり、同じ目線ではなく、
義勇・実弥は、「柱同士」、つまり同じ目線ということでもある。
義勇と炭治郎の年齢、立場、価値基準、言うなれば、目線の違いを強調するものだろう。
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炭治郎に寄り添い続けた義勇が最終的に炭治郎と別離して
炭治郎と衝突し続けた実弥に寄り添うというのは、
多分実弥と義勇の関係性の成就を描くためではなく、
炭治郎と義勇の関係性の変化を強調する為なのだと思う。
巻末モノローグ「後ろめたいなんてそんなこと思わないで」
巻末モノローグにおいて、竈門炭治郎は冨岡義勇に対して、「後ろめたいなんてそんなこと思わないで」という言葉をかけているようである。その内容の本質は定かではないが、義勇は炭治郎に対して「後ろめたい」と思っていたことが開示されている。
これは、義勇が炭治郎の「手」を自分から離したことにあてられているのかもしれない。
『鬼滅の刃』第23巻©吾峠呼世晴/集英社 |
義勇は最初から終盤まで炭治郎の「兄」であり続けたけれど、最終的に彼は「柱」であることを選び、炭治郎の「手」を離したのだ。
この物語自体が「兄弟の愛着関係の形成・発展・解消」をテーマとするものであるということなのだろう。