2020年8月14日金曜日

「神様はじめました」考察 沼皇女と小太郎のその後についての予想

本記事は、「神様はじめました」(鈴木ジュリエッタ)の考察記事です。

作品の内容に関する感想を記載するという記事の特性上、ネタバレを含みますので、ご注意ください。

今回は、最終回後の沼皇女と小太郎の行く末を予想してみました。

※ あくまで個人の感想です。




妖怪にとっての子どもの位置づけ



「神様はじめました」で、妖怪が簡単に心を動かさず、一途な想いを抱えるというのは、彼らが長命種であるため、おそらくは子孫を残す必然性がないということの裏返しだと思います。

人間は短命で子孫を残して命を繋いでいくという生き方だからこそ、心変わりするし、幾つも恋を重ねられる仕様になっています。

確か、作中で妖の子どもが描かれたのは、沼皇女だけだと記憶しております。巴衛も悪羅王も親の存在は言及ありませんでした。

そして、巴衛が雪路の出産後に赤ん坊を抱えた時、これは妖が触れてはいけないものだ、と独白するシーンがありました(コミックス第17巻)。

したがって、妖怪は子孫を残すことは必然ではない世界観だと感じています。


沼皇女と小太郎の子ども


最終巻で衝撃的だったのは、沼皇女が小太郎の子どもを妊娠していたことです。

ナマズが孕むことができるのか、という生物学的疑問はありますが、巴衛の変化の術により人間体であるということで、人間体では妊娠可能なのかなと。

割と初期の方から、沼皇女がコタと契るとか言っていたけど、それはネタではなくて、沼皇女は本当に小太郎との子どもが欲しかったんだと思います。

それはやっぱり、沼皇女は、寿命の違いによっていずれは訪れる、小太郎との別れを覚悟しているからなんだと思いました。

小太郎と死別しても、その子々孫々のなかに小太郎の命が繋がれていくからこそ、沼皇女は小太郎の子どもが欲しかったのではないでしょうか。

そして、小太郎が亡き後も、きっと沼皇女は子々孫々を守護していくのだと予想しています。

最終話で、沼皇女と小太郎の二人は手に手を取り合い、小太郎は人間界に戻らない決意をしたように思いました。駆け落ちしたかもしれない雰囲気までありました。

沼皇女はおそらく小太郎が生きている間は、人間の姿のままでいるのかなと。巴衛が人間になってしまった以上、変化の術も解けたらおしまいですからね。

しかし、一方で、沼皇女は、ただの妖怪ではなく、沼の主であり、いろいろ責任を負う立場でした。小太郎との恋路はあれど、沼の主としての役割、務めはそのままだったようです。だから、最終的には彼女は沼に戻ってくると考えています。

また、ありのままを受け入れあうという二人の愛し方からしても(第13巻)、沼皇女が人間になったり、逆に、小太郎が妖怪になったり、というオチはなさそうです。

巴衛・奈々生との違い


巴衛は本質的に自由狐です。

巴衛は500年前も悪羅王とつるんでいただけで、自身に部下がいたりとか、何か背負ってたわけではありません。

基本的に自分の欲求に素直だし、それが許される環境にいました。ミカゲも、巴衛の幸せのために手放してしまうという優しい神様ですし。


まとめ


沼皇女と小太郎の行く末自体は、それほど心配してはいません。小太郎が生きている間委は愛情深く生きることでしょう。そして、小太郎に先立たれた後も彼との思い出を至宝のごとく大事にして、その子々孫々を守護していくことでしょう。

母は強し、です。