本記事は、「神様はじめました」(鈴木ジュリエッタ)の考察記事です。
作品の内容に関する感想を記載するという記事の特性上、ネタバレを含みますので、ご注意ください。
今回のテーマ
今回は、過去と現代のそれぞれの出会いを比較し、「巴衛はいつから奈々生を好きだったのか?」という疑問について考えてみたいと思います。
過去も現代も変わらない点
巴衛は奈々生と500年前に出会い、現代でも出会います。それぞれ出会い方は違いましたが、奈々生を好きになっていますね。全く違う出会い方に描かれていますが、過去編での500年前の出会いと、現代での出会いでは、心情描写が共通する点があることに気が付きました。
- 出会った当初から勝気な奈々生に手を上げられてビックリ。
- 現代:平手打ちされる(第1巻)
- 過去:指に歯を立てられる
- 具合の悪い子ども姿の時に看病してもらい、笹餅を作ってもらう
- 現代:鳴神に子どもの姿にされてしまう。妖力が体に収まりきらず、高熱。
- 過去:戦神に斬られて川辺で倒れた時に子どもの姿に変化する。怪我の出血が止まらず。
- 意地を張る奈々生にイライラしつつ、助けを乞うなら助けてやっても良いという巴衛
- 現代:「あのクソ生意気な女が「愚かな私めをお許し下さい巴衛様」とでも言えば助けに行ってやってもよい」(第1巻)
- 過去:「巴衛様 お助け下さいと泣きついてくるにちがいない」(第16巻)
- 他の男に触らせない
- 現代:磯辺に対して「気安く触るな クソガキ」(第1巻第5話)
- 過去:乱暴しようとする男に対して「その女に触れるな…」(第15巻第85話)
- 会わない間に気鬱になり、それまでの自分の行動パターンにのっとって動こうとする
- 現代:出雲篇で奈々生の不在中、「俺としたことが糞真面目に奈々生の帰りを大人しく待っているなどまったくらしくもない…」と言って、遊郭へしけこむが楽しめない(第7巻第42話)。
- 過去:「あの日から俺はどうかしてしまったのか?…らしくない こんな様は俺らしくない…!」と言って悪羅王と遊ぼうとするが、楽しめない(第16巻第90話)。
- 第三者に指摘されて恋心に気が付く
- 現代:瑞希「神使とか契約とか関係ないよ それはもう ただの好きな子だよ」(第8巻)
- 過去:悪羅王の「そこの毛玉がお前は恋煩いをしてるって言うからよ」という言葉に目を一瞬見開く(第16巻第90話)
- 奈々生の涙に弱い
- 現代:奈々生を泣かせたときの表情が何とも言えない(第2巻第7話)。
- 過去:「お前に泣かれると調子が狂う」(第16巻第92話)
- 奈々生の笑顔を見たがる
- 現代:「じゃあ笑え 昼間みたいに」(第7巻第38話)
- 過去:「やっと笑ったな ずっとそうしていろよ」(第16巻第94話)
その他、口は悪くても奈々生に優しいところは同じ。
過去編の方がムード満点だけど、行動パターンは似ていると思いませんか?
現代ではいつ好きになったのか?
現代で奈々生の神使になる前の巴衛の言動が、500年前の「嫌い」と言われた時の巴衛と同じことから、奈々生に出会った(巴衛からすると正確には再会した)時から、奈々生のことは結構気に入っていたのではないかと思います。
ミカゲの暗示により記憶は失くしていたけれど、潜在的には生涯の伴侶と決めてた女は奈々生でしたし、過去では目を見て一瞬で心を奪われていた訳ですから。好きになったのも雪路だと勘違いしてただけで実際は奈々生だから。
しかし、現代で巴衛が奈々生に惹かれていると自覚したのは、第8巻で、契約解除されている状態で、瑞希に指摘された時でした。
ミカゲの暗示により記憶は失くしていたけれど、潜在的には生涯の伴侶と決めてた女は奈々生でしたし、過去では目を見て一瞬で心を奪われていた訳ですから。好きになったのも雪路だと勘違いしてただけで実際は奈々生だから。
しかし、現代で巴衛が奈々生に惹かれていると自覚したのは、第8巻で、契約解除されている状態で、瑞希に指摘された時でした。
巴衛「神使の時は奈々生が笑っていると安心した いつも居場所を把握して何かあれば駆けつける たとえ側にいなくても奈々生のことを思わない日はない それは俺が神使だからだ それが神と神使の契約なのだろう?」(第8巻)
瑞希「神使とか契約とか関係ないよ それはもう ただの好きな子だよ」(第8巻)
実は、巴衛と奈々生の神使の契約が解除されたのは、この時が初めてではありません。出雲の時よりも前、鳴神に土地神のしるしを奪われた時もそうでした。しかし、このときは、巴衛が悩んでいる風情はありません。また、この時は奈々生も巴衛を異性として意識していません。
過去は本能のままに生きていたから素直に感情表現していたけれど、現代は自制が効いている分自覚も遅かったのでしょうか。
さらに現代では神使の契約がある分、感情理解もさらに複雑そうだし。
なぜ現代の巴衛は両想いになろうとしなかったのか?
巴衛は奈々生の気持ちを知っていた(第8巻で再確認)ので、巴衛が一歩前へ踏み出せば両想いになったわけですが、自分からは動こうとはせず、「俺は人間の女とどうこうなる気はない」と言っています。その割に嫉妬したり、独占欲丸出しですが、一方で、奈々生が望むなら鞍馬山に残れば良いとも言っています。
したがって、現代の巴衛は、黒麿の呪いが解けるまでは両想いになるつもりはなかったようです。
これはやはり、雪路の死によるトラウマが大きいのですかね。「人間は弱いから求めたくない」という。求めたら強く執着してしまうのがわかっているからこそ(その強い執着心ぶりは第77話で描写されました。)、求めて置いて行かれるのがいやだったんですね。
「俺は人間の女は好きにはならない」とことあるごとに言っておりましたから。
第1巻第2話 |
「人に手を上げられたのは何百年振りか」
これは時廻り中の奈々生が歯を立てたことですよね。
第1巻第3話 |