2020年8月31日月曜日

「神様はじめました」考察 「当然だ」 再びかんざしを渡した行為の意味とは?(第17巻第101話)【9月4日更新】

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


今回の考察内容

今回は、「過去編最後に現代の巴衛が奈々生にかんざしを渡したのはなぜか?」という疑問と「当然だ」発言の真意について、巴衛と奈々生の想い方や愛情表現の違いから考察したい。

  1. 101話全体に感じる違和感
  2. 再びかんざしを渡した行為の意味とは?
  3. 「当然だ」発言の真意は?(第101話)


第101話全体に感じる違和感

第101話はその前の第100話の続きである。巴衛と奈々生が、お互い、500年前から将来を誓った相手であることを知り、想いが通じた感動的な第100話の続きである。

しかし、何だろう、違和感を感じるのだ。

500年越しの想い人であったことが判明した割に、巴衛と奈々生が少しすれ違っているのだ。奈々生は「そのとき」がきたらちゃんと言葉で言ってね、と言っていたはずなのに、言語的なコミュニケーションが不足している。

実は、これは、巴衛が「物の本質をみる」ことができていないからなのだ。

奈々生は愛を「言葉」で素直に伝える。それは彼女が「心」を大切にしているからだ。

一方、巴衛は自分の心にも他人の心にも無頓着。「心」を軽視しているから、奈々生への愛情表現は彼女の「心」に寄り添ったもの、すなわち「言葉」にならない。

(詳細は別記事 「神様はじめました」考察 物の本質をみる① なぜ別人と気づかないのか?奈々生にできて巴衛にできなかったこととは?

彼らの愛し方の違いについては、別記事(「神様はじめました」考察 巴衛と奈々生の愛し方の違い)にもまとめたが、本ブログでは以下の通りに理解している。

奈々生・・・いつか離れるときがくるのを覚悟したうえで、今そばにいることを大事にする。家族愛から始まった恋。愛情表現は「言葉」で伝える。

巴衛・・・添い遂げたい。手放さない。死んでも同じところに還りたい(深くて重い)。500年前の初恋の相手。愛情表現は「言葉」にならないので「行動」に現れているようだ。

巴衛と奈々生は、お互いとても想い合っているのだが、想い方や愛情表現の仕方に違いがあり、そのためすれ違いが生じる。それぞれが、それぞれに、自分の方ばかりが相手を好きだと思ってしまう。

この前提で、以下、考察したい。

なぜ復活直後にかんざしを作り直しに出かけたのか?


時廻りから戻ってきた奈々生に付き添い、頭をなでる巴衛。これは過去に奈々生に頭をなでてもらいながら付き添ってもらったことが嬉しかったことの引き直しである。

奈々生の「巴衛が生きてて良かった…」という発言にも目を合わせず、「確かに今のお前は昔の俺が会ったままだな」という発言は、巴衛が「器」に囚われている表れである。本能的には奈々生が500年前に会った女性であるとわかったであろうに、ミカゲに話しをきき、奈々生の外見をみてようやく納得するのである。

奈々生が巴衛に「行かないで」と言うのに、彼は「ゆっくり寝ていろ」と言っていなくなってしまう。いかに彼が「心」ではなく「体」を重視しているかの表れである。

そして、巴衛は「奈々生の朝食だけ」置いて朝から出かけてしまう。

第17巻第101話

巴衛にとって、奈々生に「食べさせる」ことは愛情表現である。ここでは、過去編でずっと離れていた二人が、久々に再会したことを象徴することでもある。


(はやくちゃんと会って話さなきゃ・・・巴衛のこと 私のこと… 雪路さんのこと…)

奈々生は過去の記憶を取り戻した巴衛が今何を思うか、言葉で確認し合っていないので、不安に思うのだ。ミカゲの「巴衛にとって奈々生さんが愛した女性なら雪路は情をかけたひとなのでしょう」という言葉に少し落ち着く。


戻ってきた巴衛は、言葉こそいつもと変わらないものの、いつもより引き寄せる力も強くて、距離も近くなる。そして、奈々生にかんざしを渡す。
第17巻第101話

この日朝から不在にしていたのは、かんざしを作り直しに行くためだったのだ。

「作り直しに行ったのだ あんなにくたびれていては使えないからな」
第17巻第101話

なぜこのタイミングで、かんざしを作り直しに出かけ、戻るや否や奈々生に渡したのか?

それは、奈々生が過去に将来の約束をする際、巴衛にかんざしを渡したことで、巴衛の中で「かんざしを渡す=求婚」とインプットされたからだ。

そもそも、このかんざしがどのような位置づけだったか振り返ってみたい。

① かんざしは過去編終盤は、巴衛の呪文を解く解呪アイテム扱い。

② しかし、もともとは、現代の巴衛が奈々生に贈ったもので、過去編直前、巴衛は自分が贈ったかんざしを大事にして髪につけている奈々生を見て愛しく想っていた(第13巻))。

③ その後、過去編で、巴衛と奈々生の二人の500年前の結婚の誓いの証のアイテムとなった。

過去の巴衛は、自分の前からいなくなった奈々生に想いを馳せながら、切なくかんざしを眺めていた。

そして、黒麿との契約時に取り出して言う。

「その時」が来たら俺の妻になるとこのかんざしに誓った
(約束する 私は未来であなたの妻になるわ)
「その時とは俺が人間になった時かもしれないしもっとずっと先かもしれない それでもいい 俺はいつまででも待つ」
 (第17巻第99話より)

このやりとりをみて、奈々生も巴衛が愛した女性は自分であったと気が付いた。単なる呪い解除という意味を超えて、このかんざしはまさに過去編の核心となるアイテムだ。


いずれにしても、③のとおり、このかんざしは二人の結婚の誓いの証。奈々生は将来巴衛の妻になると誓って、その証として巴衛にかんざしを渡したのだ。だから、巴衛がこのかんざしをもう一度奈々生に渡すという行為は、「500年前に交わした結婚の約束を果たすときがきたよ」、というメッセージ。つまり、巴衛なりの求愛、求婚である。

「あんなにくたびれては使えないからな」という巴衛の台詞は、ダブルミーニングなのだ。奈々生が髪にさすという通常用途に加え、奈々生に対する求愛で使うためということ。たしかに掘り出したそのままの状態では、様にならない。いわば、ボロボロの指輪を婚約指輪として渡すようなものだから。

だから、巴衛は復活してすぐにかんざしを作り直しに行ったのだ。

ここでの巴衛は、行為の「本質」を理解していないことが描かれている。

おそらく巴衛は過去に奈々生にしてもらって嬉しかったことをそのまましてあげているのだが、本質を理解していないため、通じないのだ。

奈々生に過去に笹餅を食べさせてもらって嬉しかったので、「食べさせる」
奈々生にかんざしをもらって結婚の約束をしたから、「作り直して渡す」

いずれも行為の「本質」、込められた「心」をとらえていないのだ。奈々生が笹餅を食べさせたのは怪我をした巴衛に元気になってほしいからであって、食べさせる=愛情表現ではないのだが、その行為のベースとなる心を理解していないから早とちりする。奈々生が過去の巴衛にかんざしをあげたのも、その時の巴衛に何か残してあげたいと思ったからだ。かんざしをあげる=結婚の申し出、ではない。


「当然だ」発言の真意は?


巴衛の真意(=求愛、求婚)は奈々生には伝わらない。奈々生にとって、かんざしを渡す行為がすなわち求愛、求婚、というわけではないからだ。行為に「心=言葉」が伴わなければ、当然、真意は伝わらないのだ。

もう一度みてみよう。奈々生は巴衛がかんざしを渡した真意をつかみかねている。

第17巻第101話

だから、奈々生は「言葉で」真意を確認するのだ。

第17巻第101話

「…わ 私達って両想いなの? 結婚の約束も有効?」 
巴衛は横顔だが、ちょっと目を見開いたような表情だ。 巴衛はかんざしを渡した行為で求愛しているのに、奈々生に伝わっていないから驚いたのだ。

そのため、巴衛は、「当然だ」「これからはこの俺とその他大勢を一緒に扱ってもらっては困る」と言うのだ。

巴衛にとっては、「かんざしを渡す」ことで求愛しているので、「当然だ」という言葉が出てきたのだ。

(なお、雑誌掲載時は、この「当然だ」というときの巴衛の表情は、すこしむっとした感じだったようだ。心情を考えると納得の描写である。)


言葉で確認でき、ようやく奈々生は満たされた表情をする。

本当は巴衛はここで、奈々生の「心」に寄り添い、素直な気持ちを「言葉」で伝えるべきだったのだ。あの十二鳥居編を思い出そう。奈々生はものにつられて愛のない結婚はしないのだ。


とにもかくにもお互いの気持ちを確かめ合った二人は良いムードになるが、その後、奈々生は、ムードを変える。
「もう日が落ちてきちゃった 皇女達を待たせちゃう 巴衛 早く多々良沼へ連れてって!」
「日が暮れたから何だ」
「早く早く!」「巴衛も行くのよ」「皇女達にはお世話になってんだからね」

巴衛はいかにも不満そうだ。

第17巻第101話

500年前の巴衛はあの日の続きを心待ちにしていたので、まさに「あの日の続き」を期待していたのかもしれない。不満そうなのは、奈々生がまだ彼を受け入れないこと、つまり、まだ「そのとき」ではないらしいということを悟ったからだ。

奈々生が巴衛から顔をそらしているのも象徴的だ。向かい合った二人の想いは、またずれてしまったのだ。

「これからはこの俺とその他大勢を一緒に扱ってもらっては困る」と言ったのに、奈々生の反応は、「その他大勢」を優先するものであったのだから。


この一連のやり取りは、十二鳥居編で素直に気持ちを確かめ合った二人との対比でもあり、また、その後の二人の想いのすれ違いの展開を暗示している。

実際、その後、奈々生は、巴衛にとっては「その他大勢」のはずのあみや霧仁を助けようとして生死の境をさまようことになるのだから。


まとめ


巴衛がこの日にどんな気持ちで行動していたか想像すると可愛いらしい。再会した奈々生に早くかんざしを渡したくて、朝起きて奈々生のために朝食を用意したらすぐに出かけたのだから。さぞかしワクワクしながらかんざし修理を待っていたのであろう。

しかし、残念なことに、巴衛の求愛・求婚の意図は通じない。巴衛が素直な気持ちを言葉で伝えていないからだ。奈々生の「心」に寄り添うことを怠っているのだ。読者目線でも、当初、彼の行動の真意を理解するのは困難だった。