本記事は、『進撃の巨人』(諫山創)第120話(別冊少年マガジン2019年9月号(8月9日発売))の感想記事です。先日書いた予想記事(
進撃の巨人 120話の予想)の答え合わせもしつつ、感想・考察をしたためたいと思います。
※ ネタバレを含みますのでご注意ください。
※ 前回の感想記事
進撃の巨人 119話「兄と弟」の感想
進撃の巨人のテーマは「愛」だった
120話を読んで、改めて、「進撃の巨人」の根底に流れる重要なテーマは「愛」だと実感しました。
父親に愛されたエレン。それをまざまざと見せつけられる、異母兄ジークの心境たるや。
グリシャは、ジークも愛していたと思うのです。エルディア帝国復興という思想の前に、その表現は歪んでしまったけれど。
ジークが誕生したその日に、グリシャは、涙を浮かべて喜びました。その気持ちに変わりはないはずです。
グリシャが進撃の巨人を継承する前に、クルーガーが、壁の中の人を愛せよ、と言いましたよね。その言葉を覚えていたかどうかは定かではありませんが、グリシャは、壁の中の人と出会い、新たな家庭も築き、壁の中の人を愛しました。だからといって、最初の家族だった、ダイナやジークを忘れたわけではないのです。覚えていたからこそ、地下室で、ジークに対する台詞が口をついて出たのでしょう。
赤ちゃんエレンがかわいい
赤ちゃんエレンがとても可愛いです。本当に赤ん坊らしくって。
エレンは、ハイハイしたり、つかまり立ちしたり。
そして、それを見つけ、抱き上げ、満面の笑みを浮かべるグリシャ。グリシャの台詞はないけれど、一つ一つの所作から、グリシャが、本当に息子エレンを愛し、可愛がっていたことがわかります。
グリシャの記憶に刻み付けられた、グリシャ、カルラ、赤子エレンの団欒風景。
これでもか、これでもか、というように丁寧に描かれています。
それを見つめるエレン、心なしか目が潤んでいるように見えます。
失われた家族。もう二度と戻らぬ光景なのですよね。
切ないなぁ。苦しいなぁ。
赤ん坊エレンのかわいらしさ、そして、家族団らん風景が幸せそうだからこそ、なおさら、その後にこの一家を襲った悲劇の残酷さが際立ちます。
母親は巨人に喰われ(しかも父親の前妻・・・)、父親は自分が喰ってしまい、息子は首が飛ばされ・・・改めて書き出してみると、本当に悲惨です。
エレンの生死は不明のまま
進撃の巨人第119話「兄と弟」では、ジークに駆け寄り、腕を伸ばすエレンに対して、ガビがコルトの持っていた対巨人用ライフルを撃ち放ち、エレンの首が飛んでしまうという衝撃的な展開がありました。
この点については、以下の【予想】をしていました。
エレンがこのまま死んでしまうと、取引材料も何もなくなってしまい、最終的にマーレ軍がパラディ島を支配するという展開が予想されます。さすがにそれはないでしょう。エレンは生きていると思います。
しかし、120話のときは、エレンの生死が不明のままで、一気に数年先へ進む展開もありうると思います。
→ 結局、精神世界でのエレンは登場しましたが、現実世界でのエレンの生死は不明のママでした。
やはり首を飛ばされるというのはエレンにとって相当のダメージだったようです。
ジークが言うには、エレンが目覚めるまで、「道」の世界では、もう永遠とも思われるくらい、ずっと長い時間が過ぎたようです。
青年だったジークが、ひげもじゃもじゃの初老男性にまで変貌してしまうくらいですからね…!
これは精神世界での時間の経過であって、現実世界では一瞬のことなのでしょうが。
始祖ユミルはどうやらエレンの体を作り直してくれたようなのですが、それがそのまま現実世界でのエレンの体に反映されるかは未知数だと思います。ジークとその意を受けたユミル様の思うがままということですかね!
エレンを突き動かす原動力は不変ー「この世に俺が生まれたからだ!」
第14話「原初的欲求」で、生気も自我も失ったエレンがアルミンにどうして外の世界に行きたいと思ったのか聞いた際に出したエレンの答えは、「オレが!!この世に生まれたからだ!」でした。
そして、このセリフは、第71話「傍観者」において、エレンの母親であるカルラの「だって・・・見てくださいよ こんなにかわいい だからこの子はもう偉いんです この世界に生まれてきてくれたんだから」というセリフと対になるように思います。
そのセリフが、今回もエレンの口から出てきましたね。
始祖ユミルさまも奴隷的ポジションだった・・・!!
今回、また新たな真実が明らかになりました。
始祖ユミル様ご自身にもはや意志はなく、ユミル様が主人と認めた者のために、座標で孤独に巨人を作り続けてきたのですって!!
始祖ユミル様は、ジークを治癒した初登場のとき、なんだかボロボロの服を着ているのが印象的でした。なんと、彼女自身も奴隷的なポジションだったのですね!! 永遠とも思われる悠久の時間、たった一人で泥をこねて、求められるがままにユミルの民のために巨人を生成していたのでしょうか。。。孤独すぎる!!
アッカーマン一族と王家との関係を想起させますね。なにか伏線でしょうか。
今後作中で、始祖ユミル様がその業から解放されるときが描かれるのではないかと思います。
自らの意志がなく、奴隷のように王家に従うというのは、自由を求めて進み続けるエレンと真逆の存在です。彼女がどんなふうに昇華されるのかも楽しみです。
始祖ユミルに対する疑問点
さて、始祖ユミルについては、現時点で、いくつか疑問点があります。
まず、気になるのは、始祖ユミルは、王家のご先祖のはずですが、そうすると子孫に服従を強いられているということになるのでしょうか?
また、始祖ユミルは三人の娘(シーナ、ローゼ、マリア)がいたはずです。しかし、道に現れた始祖ユミルは少女の姿であり、とても3人の娘をうんだ女性には見えません。本当に彼女は始祖ユミルなのでしょうか? もちろん、現在の道の少女は、いわば思念体のようなもので、実際に始祖ユミルが死亡した時の容姿とはまた違う姿なのだ、という説明も可能であるとは思います。
「不戦の契り」の解除?
ジークが自力で「不戦の契り」を解除したと発言していました。
これが本当ならエレンが始祖の巨人を保有している意味がなくなりますね。
始祖の巨人の力を引き出す鍵としての存在にすぎなくなるのか。
無数の記憶のかけらの意味
今回、エレンの持っていたと思われる記憶の断片が飛び散るという、きわめて印象的な見開きのページがありました。
そのなかで気になったのは、知らない人が見受けられること。
そして、涙を浮かべるヒストリアもうつっていたことです。
妊婦姿だけうつって、その後全然出てこないヒストリア。
ヒストリアとエレンの間で交わされた会話が何だったのか、気になりますねー。
エレン戦槌ダミー説は?
エレンが戦槌の巨人の力でダミーを作ったのではないか、という説については、以下の【予想】をしていました。
顎に喰われたはずの靴とズボンが再生しているので、あれは戦槌の巨人の力で作ったダミーだという予想もあります。しかし、おそらく作画ミスでしょう…。
→ やはり、エレンのダミーではありませんでした。
諌山先生が、わざわざエレンの首を飛ばしたことには、何か意味があるはずです。
エレン、このまま死んじゃったら嫌だなぁ。でも、子どもも含め、マーレで大量殺人・破壊行為をしたエレンは、相応の罰を受けることになるとも思われます。
ガビがエレンの首級を持ち上げて、人類を救った英雄のように雄たけびを上げるという嫌な図柄が浮かんでしまいました・・・。
ジークは?
この点については、以下の【予想】をしていました。
エレンの首が飛んでしまいましたが、ちょうどジークが受け止められそうな距離だったので、ジークが受け止めて、始祖の力発動!という展開もあり得ます。
→ 冗談半分で書いた予想でしたが、本当にジークが受け止めてしまったようでビックリしました!
諌山先生、ジークの野球ネタはこのシーンのために温めていたのでしょうか。。。
エレンが座標で目覚めるまで、長い時間が過ぎたようです。そのため、青年だったジークは、ひげもじゃもじゃの初老男性にまで変貌してしまいました。これは現実世界に戻ったら元に戻るのでしょうかね。
その他の面々の状況は不明
下記諸点についても予想を立てていましたが、結論として不明のままでした。
- アルミンとミカサは?104期生はどう動く?
- ファルコ巨人は?
- 巨人化したエルディア人たちは?
- イェレナは?
おそらく、今回からスタートした、エレンとジークの記憶の旅が終わるまでは、他の面々の行く末は描かれないと予想します。
グリシャの着ている服がエレンの服と同じ
若かりし頃のグリシャが、赤ん坊エレンを抱き上げているシーン。グリシャの着ている服が今のエレンが着ている服と同じでしたね。
今後の展開に影響するのか、気になります。
記憶を通じて過去へ影響をもてる?
記憶の中の赤ん坊エレンとグリシャがエレンとジークに気づいたような描写がありました。
過去への影響と言えば、映画『インターステラー』を彷彿させます。わくわくしますね!
ジークのエレンに対する執着と認識のずれ
進撃の巨人第120話の冒頭シーンで、エレンがジークの投げたボールを受け止めきれずに落としたシーンが象徴的でした。ボールは、ジークの理想、計画、夢である、エルディア人安楽死計画のメタファーであり、エレンはそれを受け止めなかったということでしょうか。
ジークは、異母兄エレンは、自分と同じく、毒親グリシャにエルディア帝国復興の民族主義を刷り込まれ、洗脳されたと思い込んでいます。
エレンがエルディア人安楽死計画に賛成するつもりはない、と暴露した後も、エレンに対する想いは変わっていないようで、始祖の力を使ってエレンを救いたいと言っています。
ジークは本当にエレンが好きなんですね。家族に対する執着のようなものでしょうか。
一方、エレンは結構冷めた感じです。エレンはやはりエルディア人安楽死計画には賛同していなかったんですねー。
「こんなふざけた計画オレは到底受け入れられない」
「悪いが兄さん オレはここに来るため あんたに話を合わせていただけだ」
今月の別冊少年マガジンの表紙
みんないい笑顔!舞台裏って感じですね!
手塚治虫先生のスターシステムのように、漫画のキャラクターたちも、諌山先生の描く進撃の巨人の舞台を演じる役者たちである、というようなイメージで描かれたのでしょうか。本当に素晴らしい役者たちです。
次号(進撃の巨人第121話)も楽しみです!
※ 前回の感想記事
進撃の巨人 119話「兄と弟」の感想