2020年9月13日日曜日

「神様はじめました」考察 日常回に含まれるメッセージ 過去編終了後の日常回(第18巻第102話、第103話)

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。



最近の考察の結果、日常回にこそ本作品のテーマの根幹にかかわるメッセージが含まれているように思えたので、過去編終了直後の日常回2話も見返してみた。


第18巻102話


過去から戻り、学校生活を送る奈々生。過去編で見せたシリアスな表情と打って変わって、以前のような能天気な笑顔を見せている。
⇒ 神様としての奈々生と人間女子としての奈々生の対比を際立たせる。

刺激し合える仲って大事(ケイちゃんのコメント)

「私は付き合う男で自分も向上するタイプだからつまんない男と付き合ったら自分が下がるわけよ」(第18巻第102話)

巴衛は奈々生と「同じ目線」に立ち「人間界」で生きていこうとし始める。(鞍馬の指摘)

「…そうだな俺は今までここに顔を出しているだけで仕事を全うしてるつもりだったがきちんと向き合う必要がありそうだ」 

「一時しのぎの腰かけじゃなくお前と同じ目線で人間界(ここ)に居るつもりなんだろ だからあいつはただ遅れてる分を巻き返してるんだよ」(第18巻第102話)
奈々生は巴衛に置いていかれたくない
⇒ 悪羅王・夜鳥編の寿命問題へロングパス
「巴衛に置いてかれたくない」

修学旅行

第18巻第103話


巴衛と奈々生のすれ違い。

ミカゲと瑞希は「みんなの奈々生」と呼ぶ一方、「みんなの奈々生」であることを受け入れていない巴衛。
⇒ 神様・神寄りと巴衛の本質的違いを示す。ミカゲ・瑞希(神様、神寄りの存在)と巴衛(欲望のまま生きる妖)。
⇒ 巴衛は奈々生の心の中にたくさんの大切な存在がいることを受け入れていない
⇒ 神様を信じることの本質を理解していない。
「あいつが俺の好きになったことがあるか」
「お前はひとの気も知らずいつもいつもいつも…」
「500年前の続き」
「お前がいればそれでいい」(お前は俺のだろう?)


瑞希の立ち位置の再確認・・・巴衛が奈々生の心を無視した暴走をしないよう見守る。
「だけど僕にとっても奈々生ちゃんは大事なご主人様なんだ 君の好きにはさせないからね」「やっぱり奈々生ちゃんを邪な目でみてたんだね」
奈々生の神様としての成長・・・浄化力はミカゲ相当まで至っている。そして神様としての成長ぶりをミカゲと瑞希は認識している。
「この社の空気は私が去った頃と変わらず済んでいる…奈々生さんが浄化している証ですね とても心地好い…」

ミカゲの役割の再定義・・・奈々生の義父的役割
⇒ 今後奈々生とミカゲが親子類似の関係として立ち回ること
⇒ 奈々生はミカゲから神のしるしを受け継いだことにより、神としての特性や物の見方もミカゲに似ていることを暗喩している。
※ 実際二人は共通点が多く、似ている。