作品の内容に関する感想を記載するという記事の特性上、ネタバレを含みますので、ご注意ください。
※ あくまで個人の感想です。
今回の考察内容
今回は、本編の中で「巴衛がやらかしてしまった事例」をもとに、「物の本質をみる」ということがどういうことか、帰納的に考えてみたいと思う。
一口に「物の本質をみる」と言っても、その中身は、案外多義的なのだ。
- 行為の本質=どのような想いでされたのかを考える
- 言葉の真意を理解する
- 人を見た目で判断しない
- 相手の心に寄り添う
やはり根本的には、自分で考え、自力で思い至ることが大切なのだ。
巴衛がものの本質をみなかった数々の事例
奈々生に過去に笹餅を食べさせてもらったので、「食べさせる」
奈々生にかんざしをもらって結婚の約束をしたから、「作り直して渡す」
奈々生が過去の巴衛にかんざしをあげたのも、その時の巴衛に何か残してあげたいと思ったからだ。かんざしをあげる=結婚の申し出、ではない。
奈々生が嬉しそうに巴衛のごはんを食べるのは、手をかけ時間をかけ自分の為に作ってくれた巴衛の「心」が嬉しいのだ。
【見た目に囚われている事例】
易者に指摘(11巻)・・・奈々生の寝間着姿(外観)に囚われているから、奈々生の神としての成長を見極められない。⇔奈々生ちゃんは強くなったよ、と言うみずきと対照的
沖縄の少女が巫女だとわからない・・・少女の姿という外観に囚われているから。
【器に囚われている事例】
人間を虫けら扱いし、そこに宿る心を軽視している
ヒロインが誰か見分けられない・・・「目」(見た目)を重視しているから。雪路と奈々生では明らかに言動が異なるのに本質をみていない
小さい奈々生を見逃す(11巻)・・・外観に囚われているから。
ガマ子を見破れない(13巻)・・・器が奈々生だから。
霧仁の正体を見破れない(19巻)・・・器が悪羅王でないから。
【言葉の真意を理解できない事例】
沖縄の巫女のメッセージを取り違えて人間になることが奈々生を幸せにすると思い込む(20巻)・・・巫女の老化に目を奪われたから。言葉の意味を理解しようとしていないから。
【ヒロインの心に寄り添わない事例】
以下は、ライトに描かれているが、ヒロインの心を軽視した行動の数々だ。
- 最初の告白を振るときに抱えてビルの屋上を歩く、(過ったとはいえ)落とす(4巻)
- ガマ子の魂が入っているときに「おもちゃ」にする(13巻)
- 意思に反して押し倒す(16巻、18巻)
- 問答無用で部屋に置き去りにする(19巻)
- 待ってほしいという心からの言葉を無視して進化の水を一気飲み(20巻)
散々描かれてきたが、巴衛は、物の本質をみていないし、「心」を軽視している。
だから、「俺はいつも素直だ 愛情表現に抜かりはない」と思う巴衛は、奈々生とかみ合わないのだ。
第19巻 |
続きの記事
「神様はじめました」考察 物の本質をみる⑦ 巴衛と奈々生の関係性の本質とは
関連記事