2020年9月2日水曜日

「神様はじめました」考察 人間になる動機の変化 巴衛と悪羅王が孤独でなくなったとは?(第25.5巻番外編)

本記事は、「神様はじめました」(鈴木ジュリエッタ作)を考察するものです。

作品の内容に関する感想を記載するという記事の特性上、ネタバレを含みますので、ご注意ください。




人間になる動機の変化 


現代の巴衛が「人間になる」と言いだしたのは、沖縄の修学旅行最終日に訪れた島で年老いた巫女の姿を見て、寿命問題を目の当たりにし、奈々生が老いて自分より先に逝ってしまうから、置いていかれたくない、同じ所に還りたいという動機だった。

これは、器に囚われ、本質をみていない。人間を好きでもないのに奈々生と共に生きる「手段として」人間になることもまた、自分を捨てることになる。手段ではなく、目的として、「人間になりたい」と思える必要があった。イザナミによる課題、すなわち、「人を愛すること」は、巴衛に自分を捨てさせないためにも必要なことであったのだ。

(巴衛がいかに体(器)を重視しているかは別記事 「神様はじめました」考察 巴衛の本性解明 なぜ別人と気づかない? なぜごはんで愛情表現するのか? 奈々生にできて巴衛にできなかったこととは?)。


その後、巴衛が「人間になりたい」という動機は変わる。

悪羅王が人間になって変わったこと、人を愛したことを知って、自分も変わりたいと願ったからだ。

すなわち、悪羅王が心の中の「神様」、悪羅王が言うところの、「替えのきかないもの」、「大事なもの」を知り、それを思うだけで心が温まり、孤独ではなくなると知ったからだ。

「悪羅王 お前を変えたのは何だ?」
「俺は俺だ したいことしかしねえよ お前こそ人間になるんだって?」「奈々生が胸張って言ってたぜ あの女は面白いな」
「まぁな」
「結局 俺は妖怪に戻れなかったが人間の体も悪くはなかった 妖怪のままじゃわからなかったことがいろいろわかったしな」 
「どうしてだ? 不便だとぼやいていたくせに お前は強い男だったではないか」
「そうだな」「俺は自分の体を取り戻したかった 不便な体を補うために 色々利用した 使えるものは慎重に扱って 使えないものも使えるように時間をかけた その内替えのきかないものが 増えたらしい 不便でなけりゃ知らなかったことだ」
(悪羅王・・・人を愛したのか お前も 愛せたのか) 
「兄弟 お前に別れを告げられた時は寂しかったけど あの時のお前の気持ちがやっとわかったよ だからさ もう俺は独りじゃなくなったんだ お前や母上 式神達…今の俺の胸ん中には大事なものがたくさん息してんだよ」「胸がいっぱいなんだよ俺 わかるよなお前なら」
(温かく満たされる感覚 こんなに幸せなことはない)
(『神様はじめました』コミックス第23巻より)

悪羅王の台詞にかかわらず、おそらく、この時の巴衛は、まだ心の中の「神様」をわかっていない。だから、彼は変わりたい、自分も知りたいと願うのだ。


その時の巴衛は、実はまだ、器にこだわるところが残っていて、悪羅王の器にこだわって自分を捨てかけてしまうのだが、そこではじめて自分の心の中の「神様」、すなわち、「大切な存在」である奈々生を思い、自分の道を踏み外さないで済む(第24巻)。


孤独でなくなったとは?


10年後の巴衛は、人間になって自身も悪羅王も、もう孤独ではなくなったと語る(25.5巻)。

それはつまり、自分の心の中に「神様」、すなわち、大切な存在がたくさんできて、それを思うだけで、胸が温かくなるということだ。

10年間どのように過ごしてきたのか、伺われる。

人間は不便な体だが、それゆえに助け合い、心の中に大切な存在をもっている。

奈々生と巴衛の間に生まれた男の子は、彼らにとって新たな「神様」となるに違いない。