2020年9月2日水曜日

「神様はじめました」考察 雪と桜のシーンの意味するもの

本記事は、「神様はじめました」(鈴木ジュリエッタ作)を考察するものです。

作品の内容に関する感想を記載するという記事の特性上、ネタバレを含みますので、ご注意ください。




今回の考察内容


雪のシーンと桜のシーンの意味するものは何か

雪のシーンは、孤独感、桜のシーンは、温かさや愛情。

【雪】孤独感、寂しさ



  1. 龍王の眼を奪った直後の巴衛と遭遇(第3巻)・・・巴衛に振られたばかりの奈々生。
  2. 出雲の神議に置いて行かれた巴衛が孤独を感じるシーン・・・「なんでこの俺様がこんな吹雪の中女の格好で一人学校に行かねばならんのだ!!」「そうだな奈々生は…ここにいないのだ……」「あたたかい あそこは寒くて凍えてしまうから」という独白と、社で独りで座っている巴衛の後ろ姿(第7巻第42話)。
  3. 霧仁が埋もれていたのは雪山(第7巻第44話)。
  4. 孤独だった幼い奈々生が舞い落ちる雪に手をかざす(第11巻第62話)
  5. 黒麿との契約(第13巻第78話、第99話)。
  6. 無力感に打ちのめされた奈々生が出ていくシーン(第14巻第80話)
  7. ヨノモリ社で一人待つ瑞希(第14巻第81話)
  8. 年末にたこ焼き買って帰る際、雪は降っていないけれど、凍えていて、昔の寂しさを思い出している奈々生(第15巻番外編)。
  9. 御嶽山に降り積もる雪(第16巻第96話)。
  10. 離れた心に孤独を感じながら龍王の眼を得る巴衛(第16巻第97話)。
  11. 巴衛と悪羅王の決別(第16巻第98話)。
  12. 雪と闇に閉ざされた黄泉(第22巻)。黄泉では霧仁、瑞希、巴衛の三人分だから積もってて本当に凍えてる感じ。想う相手はそれぞれ友人、神様、恋人なんだけど想いの深さは変わらないので。
  13. 縁側で花見する巴衛(第24巻第141話)。ここから二人の未来へ歩き出す最終章。
  14. 第25巻の冒頭第144話。高校卒業前の2月。雪が積もっていて、奈々生が置いていくものの大きさに寂しさを感じる様子を表現してる。




22巻の構成が秀逸である。霧人、瑞希、巴衛のそれぞれの抱える孤独が雪の情景描写とあいまって描写されている。それぞれに雪解けをもたらし、つまり、温かさ(あるいは希望ともいう)を与えたのが、奈々生。

奈々生が、彼らの心の中の大切な存在=神様となっていることも意味する。


【桜】温かさ、愛情

桜については、温かさ、愛情だろう。それから人の儚さも。

  1. 奈々生が万年桜の花を咲かせる(第9巻第53話)
  2. 二郎、恋に落ちる(第9巻第54話)
  3. 万年桜の開花・二郎の目覚め(第9巻第59話)
  4. お花見。二郎とお花見デート。巴衛の告白(第9巻第60話)
  5. 野狐巴衛とお花見。巴衛の告白(第15巻第93話)
  6. 奈々生を思い出しながら桜のなかで寝る巴衛(第16巻第97話)
  7. 万年桜の下で残された時間を実感する奈々生。「風が心地好いな 暖かで優しくて本当になんてきれいなんだろう なんて温かいんだろう 来年の今頃私はこの世界にはいない」(第20巻第123話)
  8. 卒業(第25巻第148話)。




【雨】


  1. 雨宿り(第3巻)
  2. 社が沼に持っていかれる(第12巻第67話)
  3. 相合傘(第18巻第102話)
  4. 嵐(第104話)
  5. 沖縄の巫女と遭遇(第19巻第115話)

雨についてもリストアップしてみた。
謀略的な意味合いもあれば、単純な気象現象の場合もあるようだ。