2020年9月22日火曜日

「進撃の巨人」と「神様はじめました」

※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。


『進撃の巨人』と『神様』の同質性と相違点

誰も同意しないと思うが、『進撃の巨人』と『神様』の同質性を感じる。

いずれも小説みたい。伏線やロングパスが多く、登場人物たちの個性が際立っている。「目に見える物と本質の違い」について読者に考えさせる点も作り方として似ている。テーマとしても、両作品とも、究極的には、子どもが大人になるための通過儀礼を描くものだ。いずれも大人も楽しむことができる作品だ。

しかし、両者の決定的違いがある。推しが簡単に死亡退場するか否かだ。

やはり推しキャラが死亡するのはつらすぎる。俯瞰して読むか距離を置かないと心が沈んでしまう。このような読者は本来手に取るべきではないのかもしれない。諫山先生の手の上で踊らされている感が半端ない。

救いようのない死に方をするからホント…。死は死。救済でも解放でもなんでもない。シビアでリアル。映画とか小説で一気に読むならいい。連載漫画がこの苦悶の時が毎月一回訪れるのだ。拷問に近い。

しかし、きっと進撃の巨人も最終話まで見届けないと作品のテーマはわからないんだろうなぁ…。最後まで読んだ時に何を感じるのだろうか。「絶望」だったらヤダなぁ。でも諫山先生容赦ないからなぁ。



「進撃の巨人」と「神様はじめました」の衝撃シーンについて


『進撃の巨人』の第119話で、エレンの首がガビの銃撃により吹き飛ばされてジークの手に接触し、その後始祖の巨人発動した。

また、『神様はじめました』第23巻で、巴衛の狐火攻撃により夜鳥の首が吹き飛ばされて悪羅王の体と同化した。

初期から一貫してダークファンタジーとして描かれてきた『進撃の巨人』では、主人公の首が飛ぶというのは驚いたとはいえ、有り得る展開として受け止めた。一方で、『神様はじめました』は、少女漫画であり、初期のラブコメ路線からすると、超展開だった。

しかし、よく読み返せば、『神様はじめました』も、血沸き肉躍る野狐時代の生き方を回顧する巴衛の回想の中で、生首がぶら下がっているし、悪羅王によって殺された雪路の旦那様の生首シーンもあり、割とリアルな描写ではあった。

首が飛んでも頭部は生きており、何かと接触して能力強化する、というのは、ファンタジーの世界でしか成立しない事象だ。