※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
巴衛がミカゲ社を出ることの物語上の意味は先日の記事で取り上げた。
(詳しくは、「神様はじめました」考察 物の本質をみる⑨ 「巴衛が私ではなく君の手をとるように」 最終話とミカゲ社を出た意味)
今回は、作品を通じて作者が何を描きたかったのか、ストーリーテーマについて考えてみたい。
作品全体のテーマ
「ミカゲ社にいると楽しいよ 時間が止まったみたいで現実を忘れそうになる でも時間は止まったりなんかしない 私は大人になっちゃうんだよ 歳を取っていくんだよ」(第24巻第142話)
第24巻第142話より |
直接的には奈々生から瑞希へ向けた台詞だが、結局、ミカゲ社にいることがどのようなことだったかを説明するという点で、実は巴衛自身を説明するものでもある。巴衛が寡黙なので奈々生を通じて語らせたのだろう。
おそらく、ミカゲ社にいることの象徴的意味は、そこで時間が止まっているようなものだったのだ。つまり、巴衛にとってはモラトリアムだったのだ。妖怪は年を取らない、というのもいわばモラトリアム。
「狐の妖怪」という設定が意味深である。狐は人を化かすもの。巴衛は自分自身の心と向き合うまで時間がかかったわけだが、いわば自分自身を化かしていたと言えるかもしれない。
巴衛は、自分の心と向き合わず、居心地の良い保護者=ミカゲのもとで、大人になるのを拒んでいたのだ。
巴衛がミカゲ社を出ることの物語のテーマからみた意味は、大人になる為の通過儀礼だ。
彼が「人間になる」ことを選んだのは、「大人になる」ということだ。
それに先立つミカゲの「懐鏡」の描写も、ある意味モラトリアムだった。
鳴神編・・・高熱に苦しむ巴衛は行き先もなく、ミカゲの懐鏡のなかに隠れていた。
過去編・・・呪いに苦しむ巴衛は心臓を凍らせてもらってミカゲの懐鏡のなかで眠っていた。
いうなれば、その象徴的な意味は、現実の問題を直視せずに保護者の庇護下で思考停止をしていたということである。
懐鏡から出て奈々生の手を取った巴衛は、考え始めるのだ。自分の無力さと人としてやっていけるのか。大人になることを考えている姿と言ってもいい。
第22巻 |
(こんなことで俺は人としてやっていけるのか?)(第22巻)
過去編終盤後も、巴衛の心の中のどこかにまだミカゲに依存する部分が残っていた。のらりくらりと大人になるタイミングをはかっていたが、いよいよミカゲ=保護者から独立して社会へ出ることを決めたのだ。
奈々生は巴衛が大人になるための原動力であり、霧仁は先に大人になった同輩の姿だ。
「心」がわからない巴衛が自分の「心」と向き合い、奈々生を大切な存在だと信じて自分の歩む道を見つける。それは、自身のアイデンティティーの確立の過程でもあった。
神様との向き合い方やファンタジー設定などエンターテインメント要素を捨象して純粋にテーマとしてみると、
物語に流れる大きなテーマは、
「モラトリアムだった男の子が大好きな女の子の隣に立って幸せにするために、モラトリアムから脱却し、保護者から自立し、社会へ出ていく」
ということだ。そのための関係性が描かれていたのだ。
「今は神と神使の契約だがそんなものはやくなくなればいいと俺は思っている お前が泣こうがわめこうが俺は人間になるぞ」(第24巻第142話)妖力や寿命、神使という役職・・・いろいろなものを手放していくのに、巴衛の台詞に迷いはない。
実に男らしい選択ではないか。
「大人になる」ために不思議な力がなくなるのは、トトロが大人にはみえないようなものだ。
不思議な力で空を飛ぶのも、ピーターパンみたいなものだった。
巴衛のテーマとしては社を出ることで完結である。
その後社に帰ったのは、巴衛の心の成長の旅に付き合ってがんばった奈々生と瑞希への作者からのご褒美なのだろう。
続きの記事
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