2020年9月9日水曜日

「神様はじめました」考察 「笑え」巴衛の台詞の変化を読み解く

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


巴衛が奈々生の笑顔に惹かれていることについては先日、以下の記事を作成した。
「神様はじめました」考察 巴衛は奈々生の笑顔に何を見出していたのか?

今回は、奈々生が笑う顔を見たいという巴衛の気持ちの描写の変化についてまとめた。


「好き」を自覚する前


「じゃあ笑え 昼間みたいに」(第7巻第38話)
「神使の時は奈々生が笑っていると安心した」(第8巻第46話)

自覚前の巴衛の台詞は短くてぶっきらぼうだ。

「好き」を自覚した後


(だから笑え いつもみたいに能天気に… 俺が隣にいてやるからそんな顔するな)
(なぁ奈々生 お前が変わらず笑っていられるように俺は隣にいてやるよ)(第11巻第62話)

「やっと笑ったな ずっとそうしていろよ」(第16巻)
(奈々生が俺のそばでいつまで笑っていればそれでいい)(第20巻) 

「俺はお前と一緒に笑って同じ時を過ごしたいだけだ お前に思いやってほしいわけでも背負ってほしいわけでもない」(第22巻)


夜鳥編終了後


自分の心のなかにいる神様が奈々生と自覚した後。

巴衛の言葉はもっと饒舌になり、素直な気持ちが表現されている。

同一人物とは思えないくらい。

やはり、火の山での自覚を境に、彼の心境に相当の変化があったことは疑いない。


「お前が金銭に憂いていれば俺が賄うだけのこと 夢を見たいなら見せてやる だから望む人生を歩け どこだろうと隣には俺がいる 俺の夢はお前を世界一幸せにすることだ」(第24巻第143話)

「こんなに眩しいお前を見せびらかしてやりたい気持ちもあるが なによりまた幸せに笑うお前の顔を俺が見たい」(第25巻) 

「もっとだ お前はこれからもっともっと幸せになる 俺が幸せにする」(第25巻) 


「笑え」が第24巻からは、「幸せ」と言う言葉を使うようになる。

奈々生が笑っているのがどういう状態か、つまり、幸せだから笑っている、笑う顔が見たいとはすなわち幸せにしたいということだと巴衛が理解したことを表している。

言葉の表現も豊かである。

奈々生は嬉しそうである。

やはり素直な気持ちを言葉で伝えているからこそ、奈々生とも気持ちが通じているのだ。

第25巻

巴衛自身も自らの足りないものを自覚しているであろう。第25巻で「デリカシーないよね」という瑞希の台詞に対して巴衛は「放っておけ」というが、その言葉とは裏腹に、その前に奈々生に向けた言葉の至らなさを反省しているようである。