本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
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なぜイザナミ様は会うたびに姿を変えるのか?(第8巻第43話)
神話では、黄泉の国で腐りかけたイザナミ様をみてイザナギ様が「あっ」と叫ぶのだけれど、これが「器と本質」問題の始まりであろうか。
二人は別れ別れになり、地上の世界と黄泉の国とは、永久に行き来できないことになる。また、地上では一日千人が死に、千五百人ずつ子どもが生まれるようになる。
イザナギ様の冒険譚みたいにとらえていたけれど、イザナミ様目線だと切ない話しだ。
日本神話における最初の夫婦神であるイザナギ様とイザナミ様ですら「器と本質」問題でケンカ別れしてしまうのだから、これはもう、人間の考え方に内在する原初的論点なのだろう。
奈々生が会うたびにイザナミ様が姿を変えるのはイザナミ様の実体が消え去っているからだけど、それ以上に彼女は「器と本質」問題を提起するのに相応しい。
それにしても、神様ときくと完璧な存在を想像してしまいそうだけれど、日本神話の神様は八百万で、素晴らしい行いもするけれどその反対に悪戯したり、感情に身を任せてしまったり、実に個性豊かで、人間的な姿で描かれることが多い。不思議な力を持ちつつ身近に感じられる存在なのだ。