※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
今回の考察内容
『神様はじめました』では、ミカゲ様がお月見をされていらっしゃったこと、それを受けて巴衛もするようになったこと、また、瑞希が巴衛とお月見をしたがっていたことなどが描かれています。
今回は、神様ワールドにおける「お月見」の意義をふまえ、ミカゲ様や瑞希の意図を探り、奈々生と巴衛の関係性の変化について考えます。さらには、作中明らかにされなかった「ミカゲ様の正体」についても考察します。
- 神様の世界における「お月見」の意義
- なぜミカゲ様や瑞希は巴衛とお月見したかったのか?
- 巴衛と奈々生の関係性の変化
- ミカゲ様の正体は月の神様?
- ミカゲ様の正体は月の神様?
神様の世界における「お月見」の意義
もうすぐ十五夜ですね。
中秋の名月の日に月を眺めるという習慣は昔からありました。縁側にススキなどを飾って月見団子や御神酒をお供えして月を眺めて楽しみました。本来お月見は、名月を鑑賞するだけでなく、祭事としても重要でした。秋の豊作の感謝を神様に捧げていたのです。
昔から日本人は月の満ち欠けによって月日を知り、農作業を進め、それに基づいて祭事を行ってきました。日本神話の中にも、月の神・月夜見命が記述されており、お月様を神様と感じてきたのです。そのため、満月の夜である十五夜は節目として特に重要な日でした。
お供え物のお団子や秋の七草などは、月の神様をお祀りするものでした。そして、神様の依り代である稲穂の代わりにすすきを飾っていたのです。
なお、2020年の十五夜は、10月1日(木)です。
なぜミカゲ様や瑞希は巴衛とお月見したかったのか?
ミカゲ様がお月見をされていたのも、単にお月様を愛でて楽しむというだけでなく、日本人が古来より神様として親しんできた対象として感じているのかもしれません。
第5巻第25話は、龍王篇で瑞希が奈々生の神使になった直後のエピソードです。ここでは、瑞希がかねてから巴衛とお月見をしたいと思っていたことが描かれています。
第5巻第25話 |
これもやはり、一緒に神様に近づきたい、「心」での触れ合いを求めたいという瑞希らしい気持ちの表れでしょう。実際、一緒にお月見した後、巴衛と瑞希の心もちょっとだけ近づいたのでした。
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第13.5巻に掲載された、巴衛の過去を描く番外編でも、冒頭に満月が出ています。お月様=神様はちゃんとあなたのやらかしをみていますよ、ということかもしれません。実際、ミカゲがみていて怒られていますね。
この番外編の最後に一緒にお月見しているのも、やはり、ミカゲ様ならではのお導きでしょうか。
もしかするとモノの「本質」をみていない巴衛は、ミカゲ様がお月見にお誘いくださった真意を理解していなかったのかもしれませんが・・・。
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ミカゲ様や瑞希が巴衛とお月見したがっていたのは、「神様」に近づくことはどういうことかを教えてあげたかったのかなと思います。
日本の神様は八百万。神様は、あらゆる物に宿ります。自分の心に向き合って、心の中で大切に想うことでこそ、近づくことができます。お月様を神様として感謝するのも、同様です。
鏡をみて、自分で考えることが大切です。安易に答えを他者に求めず、自分の心の声を聞き、自問自答し続けることが大事なのです。
ミカゲ様や瑞希は、お月見を通して、神様に近づくにはどうしたらよいのかということを巴衛に教えてあげようとしていたのかなと思います。
相変わらず、ヒントは出すけど自分の頭で考えさせるやり方で。
第14巻第81話 |
「自力で思い至ることが大事なんだ」(第14巻第81話)
巴衛と奈々生の関係性の変化
悪羅王・夜鳥編終了後の第24巻第143話(金の招き猫回)では、巴衛が奈々生をお月見デートに連れ出しています。
第24巻第143話 |
二人でお月様を愛で、近づこうとしているのは、つまり、一緒に月の神様に近づこうということでもあり、巴衛が奈々生と「心」での触れ合いを求めていることを象徴するものです。
とても素敵なシーンだと思います。
悪羅王・夜鳥編を経て、心を大事にするようになった巴衛が、奈々生に対する求め方を変えたことでもあり、彼らの関係性の変化を象徴するシーンなのです。
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対照的なのが過去編と沖縄修学旅行編の合間を描いた、テスト勉強回(第18巻第103話)です。
第18巻第103話 |
ミカゲ様たちが縁側で談笑する中、巴衛は一人で屋根の上でお月見をしています。
そして、その後、奈々生の「心」を軽視したやらかしをしてしまいます。この時期の巴衛が、やはり、「心」を軽視だったのかなーということが伺われますね。
メタ的には揺らぐ思春期男子ということでしょうか・・・(;´Д`)
そして、このとき、ミカゲ様は涙を流して悲しんでいます。直接的には奈々生を泣かせた行為に対してです。しかし、俯瞰すれば、「お月見」という、「月の神様」と心の中で向き合うべき行事をしておきながら、その直後に奈々生の「心」を軽視した行動に走ってしまった。そんな巴衛の心のあり様を嘆いているのです。
第18巻第103話 |
ミカゲ様の正体は月の神様?
ところで、沖縄の巫女回でミカゲ様が巴衛に託したのは「稲穂」です。稲穂は、月の神様の依り代です。中秋の名月のお月見の時期にはまだ稲穂が実らないため、代わりにススキを飾るのです。
第20巻第115話 |
案外、ミカゲ様の正体は、月の神様(ツクヨミ/月読命/月読尊/月夜見命とも)かもしれません。
【月の神様とは】
月の神様については、諸説がありますが、日本書紀では白銅鏡から成り出たとする説が記載されています。本作品中、ミカゲ様は「鏡」と深い関係がありますね。描かれ方も鏡の語源からも。
月の神様は、イザナミとイザナミの子どもであり、天照大神と須佐之男命の兄弟でありながら、古事記や日本書紀の記述が少なく、知る人ぞ知る神様です。
月の神様は、記紀には性別の記述はないものの、後世では男神と考えられています。
【戦神にも物怖じせず】
本作品の戦神のモデルが須佐之男命と思われるのは、その持つ剣の名称「天羽々斬」から割と明らかだと思います。
そんな戦神にも物怖じせずあしらっていたミカゲ様の様子からすると、ミカゲ様が力のある神であることは間違いありません。
【月と蝶の共通点:「死と再生」】
ミカゲ様の宿り物は「蝶」ですね。本作品のテーマに関連して、蝶が「死と再生」のモチーフとして使われているのではないか、ということはわかりやすいと思います。
実は、月についても満ち欠けをすることから、古来より「死と再生」の象徴として扱われてきたのです。
こんなところからも、月の神様とミカゲ様の間に親和性を感じてしまいます。
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ミカゲ様の正体が月の神様なのか、それとも、月の神様と深い関係があるのか、作品上は定かではありません。モデルの一人かもしれませんね。
私見ですが、おそらくミカゲ様のモデルは月の神様ではないかな、あるいは月の神様そのものではないかなと思いますし、そうだったら素敵だなぁと想像を巡らしています。
闇夜を照らす優しい月の光は、暗い道を手探りで惑う「子どもたち」を導くミカゲ様に似ているなぁと思うからです。
迷える「子どもたち」を導く月の光
【巴衛の場合】
巴衛については、500年前に保護して以来、いわば巴衛を育て直してきたのがミカゲ様です。先の沖縄の巫女回でミカゲ様が巴衛を行かせたのも、器ではなく本質をみるようにというミカゲ様の取り計らいに思います。
巴衛だけではありません。時に惑い、悩む奈々生や瑞希をミカゲ様は優しく寄り添い、見守ってきたのです。
【奈々生の場合】
家を失った彼女を社に招き入れたことが一番でしょう(第1巻第1話)。家族も家もなくしてそのままだと無理矢理「大人」にならざるを得なかった女の子が、きちんとプロセスを踏んで大人になるようソフトランディングする時間と場所を与えたのです。
その後も、祭事回、過去編導入時、紫殿を見せたときなど、要所要所で奈々生を見守ってきたのです。そして、巴衛と共に生きていく人生を望みつつ、優しく、周りを思いやってしまう奈々生の背中を押したのもミカゲ様でした(第24話第141話)。
【瑞希の場合】
瑞希は「神寄り」であり、精神的にも成熟した存在です。
しかし、そんな瑞希ですら、思い惑う時があります。
最たるものは、奈々生が神様をやめて人間界に戻ることが決まり、瑞希が寂しさをこらえて我慢するエピソード回でしょう(第24巻第142話)。このとき、ミカゲは、瑞希にケガをした怪鳥の世話を委ねるのです。これは、実は瑞希のためのミカゲ様のお導きだったと考えています。
第24巻第142話 |
もともと、瑞希が奈々生の神使になったのは、時として命がけの人助けをしてしまう奈々生の危うさを心配したからでした。しかし、瑞希は奈々生が成長したことを知り、悟るのです。
そして僕は知ったんだ 君がもういつでも飛び立てることに(第24巻第142話)
そう、まさに、傷ついた鳥に寄り添うかのごとく奈々生を心配し、寄り添っていた瑞希に、奈々生がもう飛び立てることを悟らせるために、ミカゲ様は傷ついた鳥の世話を委ねたのです。
【悪羅王の場合】
巴衛や奈々生、瑞希だけではありません。ミカゲ様の優しい眼差しは、悪羅王ですら照らしているのですよ。
「悪羅王を復活させ彼の進化をやり直させる」(22巻129話)
この戦略を思いついたのはミカゲ様です。これは、ミカゲ様が過去に彷徨う巴衛を救い、いわば、ゆりかごレベルから育て直したからこそ出た台詞なのですよ。
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迷える「子どもたち」に対するミカゲ様のまなざしは、時に厳しく、時に優しく、いつも愛情に溢れているのです。あたかも、闇夜を照らす月の光のように。