2020年10月4日日曜日

「神様はじめました」考察 巴衛は奈々生の笑顔に何を見出していたのか?【10月4日更新】

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


今回は、巴衛が、奈々生のはじけるような笑顔の次に見せる表情が何を意味するのか、考察します。

巴衛は奈々生の笑顔に何を見出していたのか?


巴衛は奈々生のはじけるような笑顔を見ると、その都度ハッとしている。一番最初から。
しかし、巴衛は自分の気持ちに無頓着な狐である。自分が「奈々生の笑顔を見たい」「奈々生の笑顔が好きだ」と思う気持ちが何を意味するのか、おそらく物語の終盤まで気づいていない。

第1巻第3話

第1巻第3話

龍王回で、巴衛が水着姿の奈々生を見てハッとしているシーンも、水着姿ではなく、笑顔の方に反応しているのだ。(第4巻第21話)

第4巻第21話
第4巻第21話
りんご飴の回でも、りんご飴に嫉妬していたというよりは、瑞希にもその笑顔を見せていたから嫉妬したのかもしれない。

第5巻第25話

第5巻第25話

土蜘蛛により穢れた学校を浄化した時も奈々生は笑顔で駆け寄って巴衛をも浄化する(第6巻第34話)。
第6巻第34話

遊園地デートでは、昼間みたいに笑え、と言っている。

過去編で巴衛が奈々生に川辺で救われた時も、巴衛をみつけてはじけるような奈々生の笑顔をみて心を奪われている。そして、もう一度あの笑顔をみたくて、桜の木の下に連れて行く。

巴衛は過去も現在も、奈々生の笑顔に反応しているのだ。
巴衛が過去に愛した女を振り返るシーンでも、出てくるのはあの奈々生の笑顔である。

呪いを解く直前の奈々生の笑顔(第17巻第100話)もまた輝いている。

第17巻第100話


しかし、巴衛は自分の気持ちに無頓着な狐である。自分が「奈々生の笑顔を見たい」「奈々生の笑顔が好きだ」と思う気持ちが何を意味するのか、悪羅王・夜鳥編の終盤まで理解していない。

巴衛の本質は欲望のままに生きる妖である。私欲に囚われず心眼でモノをみることができない。「心」(魂)よりも「体」(器)で判断してしまう。実は巴衛がもともと惹かれたのは、奈々生の心(魂)であって、体(器)ではないのだが、巴衛はよく理解していない。なにしろ、自分自身の心にも無頓着なのだから。



ガマ子に奈々生が体を乗っ取られた事件(第13巻)では、巴衛はガマ子の魂が入った奈々生の笑顔に微妙な反応をしていた。何か違うということは気づいていたが、そこで別人だと見破れない。
第13巻



悪羅王・夜鳥編。奈々生の笑顔に対する巴衛の表情は何とも読み取りがたい。このときの奈々生の心中は、実はお先真っ暗状態で、心から「お日様」のように笑えていないのである。奈々生の笑顔はどことなく薄暗い。巴衛も違和感を感じているのかもしれない。
(詳細は、「神様はじめました」考察 黄泉の闇夜は何を象徴するのか

第22巻


夜鳥が消えた後に再会した奈々生がみせる笑顔を、泣きそうな、切なそうな、何とも言えない表情で見る巴衛。
第24巻

 このとき、巴衛は、自分が「奈々生の笑顔を見たい」のはなぜなのか、その意味するところを悟ったのであろう。

この直前、火の山で夜鳥の手を取りそうになった巴衛を止めたのは、巴衛の中にいる奈々生であった。奈々生の存在が、そのとき道に迷いかけた巴衛を導いたのだ(「俺の行く先に奈々生がいる限り俺は自分を捨てない」(第24巻第139話))。

巴衛は奈々生が自らの大切な存在であり、神であり、生きる指針であり、「星」であることに気が付くのだ。


そして、星は星でも奈々生は「お日様」である。かつて巴衛は奈々生を「清らかで可愛らしい凛とした花」(第11巻)とみたが、「本質」をみれば、「お日様」のような奈々生の笑顔は闇のもたらす穢れを払う「清らかな」日の光の体現なのだ。

巴衛が奈々生の「お日様」のような笑顔に見出していたのは、まさに闇のもたらす穢れを払う日の光のような「清らかさ」だ。

(詳細は、「神様はじめました」考察 登場人物たちの「本質」とは 火、水、風とお日様

そして、奈々生が笑っているのは、奈々生が幸せを感じていること、すなわち「心」が健やかな状態であることを指すのだ。


第24巻以降、巴衛は、奈々生の笑顔をみるために、「心」を寄せるようになる。


第25巻

最後まで相変わらずハッとしたような表情をみせる巴衛。
奈々生のはじけるような、「お日様」のような笑顔は、まさに巴衛の心を揺さぶるのであろう。その後彼は奈々生の幸せに笑う顔を見たいと思い、結婚式を執り行うことにする。

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 「奈々生」の本質はお日様であり、
「奈々生の笑顔」の本質は古来より闇夜の穢れを祓う清らかさを体現するものであり、
まさに奈々生の本質はその笑顔に表れているのである。
巴衛が奈々生の笑顔に逐次反応するのは
奈々生の清らかさ、魂の輝き、すなわち彼女の本質=心に恋したからである。

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作中において、奈々生と巴衛はいわば対極の存在である。いわば、奈々生も巴衛の「鏡」なのだ。巴衛は、奈々生の笑顔をみて感じる自分の感情の本質を理解すべきであった。そうすれば、最初から最後まで、自らがひかれ、愛してやまないのが、奈々生の心(魂)であり、奈々生の笑顔を見たいなら何をすべきかを理解できたはずなのだ。

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