本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
「対の姿をとる」黒麿とは何者なのか(第16巻第95話)
「私はね誰かと繋がりたいんだ 深く深く…私にとって「契約」とは相手と密な繋がりを持つこと 約束という絆で結ばれ運命を共にするということ そのために対の姿をとるのさ」(第16巻第95話)
黒麿は、相手に応じて「対」の形をとり、姿を変えるけれど、立ち回りについても、相手の欲求に応じて変わるのだ。
- 時廻り中、手探り状態だった奈々生に対しては道標となる存在であり、
- 力を欲していた夜鳥に対しては力を貸し与え、
- 愛を説く大国主に対しては虚無へ引っ張り。
黒麿は、神堕ちであり、「対」の形をとるという在り方から、時として夜鳥と手を組むなど、相手に応じて立ち回りを変える存在である。過去編において奈々生の行き先を導く存在としては「大人」としての役割を担っていたのだろう。
黒麿の位置づけについて考えあぐねてきたのだけれど、相対する者によって姿や立ち回りを変え、相手と繋がり、運命を共にし、対の姿をとるという黒麿の正体はおそらく「鏡」である。
そして、昔の人々が「月」を「鏡」に見立てたことからすると、黒麿は、「鏡」のなかでも「月」ではないだろうか。だからこそ、過去に巴衛を人間にすると契約した時に、「次の満月の夜まで」を期限としたのだ。
古来の人々は、鏡を見て自らの心と向き合い、自らと対話し神に近づこうとした。
「鏡」は映すだけで相手を愛さないから虚しかったのではないだろうか。けれど、時廻りで暗中模索だった奈々生にとっては道標として働いたので奈々生に感謝され成仏したのだ。
第24巻 |
夜鳥が祓われたのはケガレの根本原因たる闇夜の化身だから
多分黒麿は月食状態=ケガレ
でも奈々生のお日さまの光に照らされ、黒麿は光を取り戻した。
それで夜鳥は、闇夜の力を失い、祓われた。
黒麿の正体は謎だけど、
黒麿=光を失ったお月様(月蝕状態でケガレ)、
ミカゲ様=満月状態のお月様(清らか)
ではないかと思ってる。
どちらも暗中模索状態の奈々生を導く。
黒麿は鏡そのもの、
ミカゲ様も鏡の役割を教えてくれるし名前もそうだし
夜鳥に協力している黒麿の残留思念が禍々しい手となって表れるのは、まさに夜鳥自身の心を投映しているから。
- 愛(ハレ)に満ちた大国主の御霊の前では麗しい美女になる
- 自己否定という負の感情(ケガレ)に満ちた夜鳥の前では禍々しい姿になる。
悪羅王に執着し、自分諸共奈落の底へ引きずり落とそうする「手」なのだ。
月は太陽の光を受けて輝く。
月蝕というのは太陽の光が地球に遮られている状態。
黒麿は奈々生というお日様の光を受けることで再び光を取り戻し、ケガレが祓われ、ハレに転じてようやく逝ったのだ。
※ イザナミもそうだけど日本の神様たちは不死ではない。