2020年10月17日土曜日

「神様はじめました」考察 始まりの場所「黄金の湖」は何を象徴するのか 三人の新たな関係性構築の可能性

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。

※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。

※ 単なる個人による感想・考察です。

※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


それぞれの情景が象徴するもの


荒れすさぶ嵐の沖縄:悪羅王の心

闇夜に沈む黄泉:当時のお先真っ暗状態な奈々生の心

真っ白な雪に覆われる黄泉:巴衛・瑞希・霧仁の孤独な心

火の山:愛も怒りもどっちも激しい巴衛の心

黄金の湖:心に大切な存在いて温かく感じている瑞希の心

花火が海面に映る沖縄の情景:巴衛・奈々生・瑞希、三人の関係性

花火・・・「自由」と「意思」、それぞれに強烈な個性を放ち、合わさって光り輝く巴衛と奈々生

海面・・・瑞希

始まりの場所「黄金の湖」


「人の還る場所」である「黄金の湖」は瑞希の心の象徴である。

そこで奈々生が感じる、あたたかくて心地好い、幸福な一体感は、瑞希の心の情景に近い。瑞希は、心の中に沢山の人がいて温かく感じているのだ。

第22巻


「黄金の湖」は、湖面(水)に日の光が当たってキラキラと輝く情景であろう。

つまり、奈々生(お日様)が瑞希(水)に手を差し伸べ(日の光で照らし)、彼を孤独(寒さ)から救ったからこそ、瑞希は心が温かい。だからこそ、黄金の湖は、温かくて心地好くて一体感を感じられる場所なのだ。


そして、黄金の泉は、人が還る場所であると同時に、また新しい命を生む「始まりの場所」でもある。

そして、ミカゲ社も「始まりの社」である。

「ここで全てが始まり新しい未来がまたここから始まる」(第25巻)

始まりの場所「黄金の湖」が「人が還る場所」だから

始まりの社「ミカゲ社」に「奈々生が還る」ということだ。

奈々生が「黄金の湖」に対して感じる「あたたかくて心地好い、幸福な一体感」が、まさに、奈々生が「ミカゲ社」、ひいては「瑞希」に対して感じている気持ちの説明である。


奈々生にとっての巴衛と瑞希とは


瑞希:温かい
巴衛:熱い

奈々生⇒瑞希:一体感
奈々生⇒巴衛:飛び込んでいく

奈々生からみた瑞希

奈々生が「黄金の湖」に対して感じる「あたたかくて心地好い、幸福な一体感」が、まさに、奈々生が「瑞希」に対して感じている気持ちの説明である。

奈々生からみた巴衛

奈々生の「火の山」に対する感想が、奈々生が巴衛に対して感じている気持ちの説明であり、奈々生の「火の山」に対する向き合い方が、そのまま彼女の巴衛に対する向き合い方の説明なのだ。

「熱い」

「麓から見る火の山はまるで天まで届く炎の壁みたいだ」

怖くても巴衛が心配だからと言って「勇気を出して前へ進め!」と言って火の山に入っていく彼女の姿は、巴衛を思いやり、手を差し伸べ続け、彼の心の中に飛び込んでいった、作中における彼女の姿そのものである。

なぜ巴衛の手を取って出ていくのか

瑞希と巴衛なら、恋愛関係はさておき、瑞希の方が考え方も価値観も近いのになぜ巴衛の手を取って出ていくのか。それは巴衛が奈々生の「自由」を実現しようとするからだ。

瑞希も奈々生もお互い優しく思いやり、分かり合えるだけに二人だけだと状況を打開するパワーが足りないのだ。

奈々生が「黄金の湖」に対して感じる「あたたかくて心地好い、幸福な一体感」が、まさに、奈々生が「ミカゲ社」、ひいては「瑞希」に対して感じている気持ちの説明である。それだと、まさに、心地良くて現状維持で満足してしまうのだ。


なぜ巴衛と二人で社に帰還するのか


逆に言うと、奈々生は瑞希に対して、「あたたかくて心地好い、幸福な一体感」を感じているからこそ、最後に奈々生はミカゲ社に帰還するのだ。瑞希は奈々生が還る場所。

つまり奈々生にとって

巴衛は、喜怒哀楽を共にし障害を乗り越えて新たな何かを生み出すために一緒に生きていく相手であり、

瑞希は、奈々生が最終的に還る場所なのだ。温かくて心地良く安らげる。

火の山=巴衛

黄金の湖(人間が還る場所)=瑞希

だからこそ奈々生は瑞希の元へ還る。人間になった巴衛を連れて。

この三人の関係性が本当に大好きで堪らない。


三人の新たな関係性構築の可能性


奈々生は巴衛の「自由になりたい」という願いを支える為に社を出て

巴衛は奈々生の「家族を作りたい」という願いを支える為に社に戻る。

巴衛は「愛」のために社を出て

奈々生は「家族」のために社に還る。

「自由」と「意思」、「愛」と「家族」、最終的に混ざり合って一つになる。それが「始まりの社」に還るということの意味だ。

巴衛と奈々生、意思の強さと自由への強い欲求、どちらも強く、時に反発する二人を、瑞希が受け止め、循環し、融和していた。瑞希自身の想いも混ぜて。まさに「三つ巴」の関係性だった。

そして、人の魂や想いが始まりの「黄金の湖」に還って混ざりあって一つになって、また流れて行って新たな生命になるように、10年後、奈々生、巴衛、瑞希の3人もまた新たな関係性を構築していくのだろう。

それが瑞希の待つ「始まりの社」へ巴衛と奈々生が帰還する意味だ。

この3人の関係性も昇華したのだ


巴衛の「意思の自由」

⇒瑞希(外の水)による見守りから自制心(内なる水)へ


巴衛と奈々生が二人で社を出る

⇒瑞希(第三の力)による融和から話し合い(言葉による相互理解)へ


巴衛と奈々生が二人で社に還る

⇒二人が還る場所=瑞希⇒三人の新たな関係性の構築を予感させる。

 

「強くなったら帰ってくる」とは


瑞希を心配させないくらい強くなったら帰ってくるというのは、まさに瑞希は心配して神使になったから。

そして彼が神使になったきっかけは、奈々生が巴衛を助ける為に命を捨てかけたから。

瑞希はそこに神を見出し、また、雪路絡みで奈々生と巴衛の関係性に内在する危うさを感じたのだ。

瑞希が巴衛を見張っていたのは、奈々生の意思を無視した暴走をしないよう見張る為であると同時に、花火のようにそれぞれに強烈な光を放つ二人の関係性に内在する危うさを融和させるものだ。だから、奈々生が社に戻るには奈々生自身の成長もさることながら巴衛と奈々生の関係性の安定化も必要だったのだ

だからこそ主語が「強くなった私達なら」なのだ。

それぞれが強くなる+それぞれの絆も強くなるということ。

奈々生が社に還るために設定した課題はそこまで含むものだったのだ。