本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
今回の考察内容
出雲に行く直前の遊園地デート回で、巴衛は奈々生にかんざしを贈る(第7巻第38話)。
第7巻第38話 |
なぜ巴衛は遊園地デート回で奈々生にかんざしを渡したのか?
現代の神使の巴衛は、過去の巴衛と異なり、奈々生に対する気持ちが素直でないので、その行動の真意を理解するのが困難である。
遊園地デートの時点では奈々生と付き合っているわけでもなければそもそも「好き」という自覚もない。そのような関係の女性にかんざしを渡すというのは、いかなる真意によるものであろうか。
物語におけるかんざしの位置づけを整理したうえで考えたい。
かんざしにまつわる時系列
かんざしにまつわる時系列は以下の通りだ。
- 現代で、巴衛がかんざしをミカゲ社の祭事の際の出店で買う(第5巻第30話)(描写はないが第38話の巴衛の台詞から伺われる)
- 現代で、遊園地デートの際、巴衛が奈々生に渡す(第7巻第38話)
- 現代で、巴衛は自分が贈ったかんざしを髪につけている奈々生を見て「きれいだ」と思う(第13巻)
- 500年前、時廻り中の奈々生が将来の結婚の約束の誓いの証として野狐巴衛に渡す(第16巻)
- 500年前、野狐巴衛が契約時に契約のしるしとして黒麿に渡す (第17巻第99話)
- 現代で、時廻りから戻った奈々生が、埋もれたかんざしを見付ける(第17巻第100話)
- 現代で、奈々生が掘り返したかんざしを巴衛に渡し、黒麿との契約が無効となって呪いが解ける(第17巻第100話)
- 現代で、巴衛が作り直したかんざしを奈々生に渡す(第17巻第101話)
第17巻第101話 |
その後奈々生がかんざしを身につけるシーンはない。このかんざしの位置づけは、実用品としての用途ではなく、「約束の印」だからだ。
なぜ巴衛は遊園地デートで奈々生にかんざしを渡したのか?
時系列を確認して明らかになったのは、このかんざしは「契約(約束)の印」として使われているということである。
- 過去の巴衛と奈々生の結婚の約束のしるし
- 過去の巴衛と黒麿の契約のしるし
- 現代の巴衛と奈々生の結婚の約束のしるし
つまり、このかんざしは「ずっと一緒の約束のしるし」として使われているのだ。黒麿も、「誰かと深く繋がっていたい」ということで契約をしたわけだから。
翻って考えると、遊園地でかんざしを渡したのは、
現代の巴衛と奈々生の「神と神使の契約」のしるし
という位置づけになる。
過去編終了後奈々生がかんざしを身につけるシーンはないのも、このかんざしの位置づけが、実用品としてではなく、「約束の印」だからだ。
遊園地デートの頃の巴衛は自分の「心」を理解していないので、そこまで意識して渡したわけではないかもしれないけれど、物語における位置づけとしてはそうなる。
そもそも、遊園地デート回に何故巴衛が出かける気になったのか。
かんざしをわざわざ持って出かけてること、奈々生がツインテールだったのを見てるから、このかんざしを渡す機会を伺っていたのだろう。
そして、現代の神使の巴衛が遊園地でかんざしを渡したのは、奈々生と巴衛の「神と神使の契約」という「ずっと一緒にいる約束」のしるしとして渡したのである。
だからこそ、奈々生は巴衛が「神様」としての自分を大事にしてくれていることを知り、満たされるのだ。
まとめ
- 現代の巴衛と奈々生の「神と神使の契約」
- 過去の巴衛と奈々生の「未来(500年後)の結婚の約束」
- 過去の巴衛と黒麿の「人間にする契約」(後に無効化)
- 現代の巴衛と奈々生の「現代における結婚の約束」
現代の神使の巴衛が遊園地でかんざしを渡したのは、奈々生と巴衛の「神と神使の契約」という「ずっと一緒にいる約束」のしるしとして渡したのである。
※ かんざしは、巴衛と奈々生が「ずっと一緒にいる約束」の誓いのしるしである。そう考えると黒魔に対してこのかんざしを渡したのは、当時の巴衛の行動のすれ違いを象徴するともいえる。本来奈々生と結ばれるべき巴衛が、黒麿と深く繋がる帰結になる契約を結ぶこと自体がすれ違いだからだ。