2020年10月5日月曜日

「神様はじめました」考察 「とても晴れやかだ」奈々生の「浄化」の本質とは

 本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


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奈々生の本質は「お日様」


神話の時代、天照大御神が天岩戸に閉じこもった時に祭事をして笑い歌い踊ったことから、祭事は穢れを払う最大の神事とされてきた。

笑って、歌って、踊れる状態は清らかな状態。穢れている時は笑えない、歌えない、踊れない。つまり、清らかな人とはいつでも笑って、歌って、踊れる人のことである。まさに、奈々生そのものではないか。

奈々生の本質はお日様であり、奈々生の笑顔の本質は古来より闇夜の穢れを祓う「清らかさ」を体現するものであり、まさに奈々生の本質はその「笑顔」に表れている。

第22巻第130話

(何より奈々生ちゃんが お日様のように僕の心を温めてくれるから)(だからいつまでも笑っていて お日さまみたいに…) (第22巻第130話)

巴衛が奈々生の笑顔に逐次反応するのは、奈々生の清らかさ、魂の輝き、すなわち彼女の本質=心に恋したことの何よりの証左である。

奈々生の「浄化」の本質とは

奈々生の「浄化」の本質は、闇を金色に輝く光で明るく照らし、闇により引き起こされた寒さに凍える者たちの心を温め、闇により人々の心に澱のようによどむ穢れを払いのける「日の光」である

巴衛や黒麿が浄化された時(後述)、「晴れやかだ」、「晴れ晴れとした気持ちで」と言っているのは、まさに奈々生という「お日様」の光に照らされて穢れが祓われたからなのである。

「もう汚れも瘴気もない ミカゲと初めて会った時以来だ ともて晴れやかだ ああそうか これが浄化か」(第6巻第34話)

「人の子が私の存在を肯定してくれた これでやっと晴れ晴れした気持ちで逝くことができる」(第24巻)

そして、奈々生の浄化力は、ミカゲ相当なのだ。

「この社の空気は私が去った頃と変わらず済んでいる…奈々生さんが浄化している証ですね とても心地好い…」(第18巻)

メタ的には、奈々生のお日様のような笑顔により、ミカゲ社に住む者たちの心も明るくなり、笑えるようになったことで、よどんだ空気が一掃され、空気が澄んでいるともいえる。

ミカゲ様と奈々生の使う技が同じ退魔結界=浄化である。これは、二人とも「光」で闇を照らすタイプの神様だからだ。お月様とお日様。


奈々生の浄化エピソード


ここで、本編中の奈々生の浄化エピソードをまとめてみた。


学校の浄化(第6巻第34話)


第6巻第34話

土蜘蛛により穢れた学校を浄化した時も奈々生は笑顔で駆け寄って巴衛をも浄化する(第6巻第34話)。このとき式神の護の通る道が金色に光ってるのは、まさに「お日様」パワーの発露だからだ。

「もう汚れも瘴気もない ミカゲと初めて会った時以来だ とても晴れやかだ ああそうか これが浄化か」(第6巻第34話)

鞍馬山の浄化(第10巻第58話)

退魔結界を張った時の天狗たちの台詞(第10巻第58話)もまた、奈々生が日の光のように浄化したことを示している。

「すげー何の光だろ」

「不思議じゃ なんだか心が落ちついてきよった」

「あったかくておねえちゃんに抱きしめてもらってるみたいじゃ」

一連の台詞は、奈々生の浄化の本質を示している。「日の光」だ。

第10巻第58話

このとき奈々生は、夜鳥の暗躍により、鞍馬山の天狗たちの心に澱のように広がっていた穢れを祓ったのである。

過去編:巴衛の呪いを浄化(第17巻第100話)

過去編で奈々生が巴衛の呪いを解く過程もまた、巴衛の穢れを祓う「浄化」である。

神話の世界では、「死」も穢れである。だから、500年前に「死」の匂い(雪路、悪羅王、そして巴衛自身)がまとわりついていた巴衛は穢れそのものであった。

500年前の記憶を取り戻して「もう暗くて顔も見えない」と言いながら闇に沈む彼の姿(第17巻第100話冒頭)は、再び「死」の影に囚われ、穢れの真っ只中にいることを示唆している。

第17巻第100話

そして、奈々生が現れると日の光がさんさんと降り注ぐかのように巴衛の周囲が明るくなるのは、まさに日の光で穢れを祓い、浄化しているのである。

第17巻第100話


物理的には巴衛にかけられた呪いはかんざしを渡すことで無効化した。

その本質は、巴衛が喪失したと思っていた過去の想い人を取り戻し、心が生き返ったことにより、呪いが解けたのである。

奈々生はまさに自身の存在でもって巴衛の穢れを祓ったのだ。


黄泉:光を取り戻す(第22巻第131話)


第22巻第131話

闇に沈んだ黄泉を照らしたのも奈々生である(第22巻第131話)。闇により引き起こされた寒さ、すなわち、孤独感に凍える者たち(霧仁、巴衛、瑞希)の心を温めたのだ。

火の山:黒麿の穢れを浄化(第24巻)

奈々生の本質は「お日様」である。奈々生は日の光が照らすかのように、素直な感謝の言葉でもって黒麿の存在を肯定したことで、闇に沈んだ黒麿の穢れを祓い、浄化した。

ひいては夜鳥の試みを阻止し、夜鳥のもたらした穢れを祓うと同時に巴衛に纏わりついた最後の穢れ(過去の因縁)も祓ったのである。


「人の子が私の存在を肯定してくれた これでやっと晴れ晴れした気持ちで逝くことができる」(第24巻)


結論:奈々生の浄化の本質は「日の光」


奈々生の「浄化」の本質は、闇を金色に輝く光で明るく照らし、闇により引き起こされた寒さに凍える者たちの心を温め、闇により人々の心に澱のようによどむ穢れを払いのける「日の光」なのだ。


「桃園奈々生」:名前に込められた意味


「桃」は邪気を払う呪力がある果物。古来、桃の実は邪気を払う呪力があると考えられてきた。イザナギが黄泉から逃げる際に桃の実を追っ手に投げつけて難を逃れた。また同様の思想は桃太郎伝説にも伺われる。

「奈」は神事の果樹。「奈」は本来、「木」と「示」をくっつけてできた「柰(ダイ)」という文字。「示」はお祈りなどの神事で使われる文字で、「大(木)」は大地をおおう大きい樹を表すことから、「神事に用いられる果樹」を意味するようになった。

名前自体が彼女の本質に相応しい。


大国主はなぜ黒麿の仕事を引き受けたのか


大国主が自信喪失気味になったのは、黒麿の穢れを祓うことができなかったからである。

しかして大国主は黒麿のやり残した仕事を引き受けることにより、黒麿の心残りを解消し、清めの総仕上げにかかるのだ。

それは引いては頑張った奈々生に対するねぎらいでもあり、また、神を引退する彼女への餞別にもなるのだ。


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