2020年10月12日月曜日

「神様はじめました」考察 なぜ「巴衛の中の奈々生」は着物姿なのか? 巴衛の回想シーンのまとめ

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


着物姿の奈々生を回想する巴衛


500年前の野狐巴衛が恋した女性は奈々生だった。その後、巴衛は「神と神使」という関係で出会った奈々生にまた恋をする。

過去編終了後、時折、巴衛の回想シーンやモノローグで500年前に出会った奈々生(着物姿)が登場する。

いずれも重要局面である。

巴衛の心の中の奈々生は、500年前に恋したときの奈々生が基本形ということであろうか。記憶は忘れていても、そこにあった想いは残る(第11巻)。巴衛の中で500年前からの想いが消えたわけではなく、巴衛の中に残っていたのだろうか。


龍王の目を取りに行くとき(第17巻第97話)


第17巻第97話

かんざしを差し出した奈々生の姿を見て500年前の約束シーンを思い出したとき(第17巻第100話)


第17巻第100話

余命半年問題について話し合ったとき(第22巻第131話)


第22巻第131話

巴衛にとっては過去に経験した、奈々生がいなくなること(奈々生と勘違いして情をかけた雪路の死)は、ミカゲに忘却の暗示をかけられても人間アレルギーに化体し、トラウマとして残っていた。記憶が戻ってからそれらをすべて思い出して、また失う(今度こそ、本当に)という怖さがずっと心の中にあったのだろうか。


夜鳥との最終決戦の時(第24巻第139話)


悪羅王の体と融合していく夜鳥から、加わるるか選択を迫られる巴衛。こんな奴に悪羅王の体を渡せないという怒りが沸き起こり、冷静な判断ができなくなる。夜鳥に言われるがまま歩み始めた時、巴衛は、そこにはいないはずの奈々生の姿を見た。


第24巻第139話

これは実際の奈々生ではなく、巴衛の心の中の奈々生である(「俺の中のお前」)。桜の木らしいものも描かれている。

やはり、巴衛の心の中の「奈々生」は、500年前に桜の木の下で「愛しい」という感情を自覚し、想いが通じ、奈々生と将来の結婚を約束した時が基本形なのだ。あの時に奈々生が巴衛のいわば「心の中の神様」(「核」、「星」、「生きる指針」)となったのだろう。


第24巻第139話

一方、その次のコマの奈々生は同じく着物姿であるが、この位置関係は、過去編終盤の第100話で描かれた、かんざしを持ち帰った奈々生が巴衛に抱きつくシーンを想起させる。鳴神編で巴衛に手を差し伸べたときや、学校で浄化したときも似たような位置関係だ。つまり、奈々生が巴衛を助けるときは、日の光を巴衛に照らして闇を祓って浄化しているのである。

以前、瑞希がウナリに対して、奈々生が心の中にいるから「僕はもう二度と闇に堕ちることはない」と話していた(第19巻第112話)が、巴衛も同様に、奈々生が心の中にいたことで、夜鳥の手をとらず、自分の進むべき道を見失わずに済んだのだ。



結婚式の日(第25巻第148話)


第25巻第148話

巴衛の「・・・やっと俺のものだ」という台詞は、短いが、万感の思いがこもっている。

500年越しの恋の成就だからだ。