本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
今回の考察内容
言葉、心、言霊、名前、自らのルーツを大事にする・・・本作品で描かれているのは、日本古来の心のありよう、神様との向き合い方だ。
「白札に字を書くようにこの式神に名前を付けなさい それが式神の能力になりアンタの望みを代行する」(第6巻第34話)
白札に書いた願いが叶うのも、言霊思想。
式神の名前も言霊思想に基づいている。
言葉に力が宿るのは、言葉が頭の中のモヤモヤを具象化してくれるから。
霧仁の変容
悪羅王は「霧仁」という名前になったけれど、それは彼の本質の変化のスタートでもあるのだ。
荒れすさぶ嵐、暴風雨の具象化だった悪羅王(「これが嵐の幕開け」(第15巻第88話))が、「霧」になった。
「仁」は思いやり、慈しみ、人、という意味。
悪羅王が落ち着いてきたということ
霧仁の式神二人組は「霧仁」と呼んでいる。自分たちを生み出してくれた存在の本質が「悪羅王」ではなく「霧仁」だから。
一方、巴衛は霧仁を「悪羅王」と呼んでいる。それは、巴衛が悪羅王の本質(心)が変わってしまったことを知らないから。
巴衛が一緒に過ごした悪羅王はもうどこにもいない。
悪羅王の本質が決定的に変わったのは霧仁になってから経験した様々な出来事が原因だけれど、巴衛にとっては、500年前に斬り捨てた時が最後のお別れ。
現代の霧仁は悪羅王の本質だけれど、本質自体が、500年前から変容したのだ。
「嵐」が鎮められて「霧」になり(霧仁)、最後に「日の光」に照らされてキラキラと輝く存在=光の属性(綺羅羅)に転じたということだ。
名前の変わらない巴衛
悪羅王は器を変えるたびに「名前」も一緒に変えていくのに対し、巴衛は「名前」を変えてない。
「巴」という漢字は、湧き出した水がうずを巻いて外へめぐるという意味。
「衛」は、周りにいて中のものを守るという意味。
神社に三つ巴紋をおくのは、神社の周りに「水」を張って「火」から神を守る意味がある。
自制心を獲得したとはいえ、本質はまだ「燃え盛る火」である。
人間になっても巴衛は巴衛のままである(25.5巻番外編)。
「火」のような「熱い想い」は巴衛の本質的部分である。人間になってもそれは変わらない。巴衛の中の火は消えない。
外側の水(瑞希)が果たしていた役割を、今度は巴衛自身の心の中の水(自制心)が担っていくのだ。
まさに、巴衛の本質を取り囲むように彼自身の自制心(水)が一時の感情に流されないで(火の暴走を防ぎ)、自由に生きることを可能にするのである。
ここに巴衛は「巴衛」という名前の意味するものを自らの手で実現することが可能になったのである。
「神様はじめました」考察 「俺も変われるのか」(第23巻第135話)巴衛はなぜ変わりたかったのか?
「自由な火」に
巴衛=狐火=狐(器)+火(本質)
巴衛は巴衛のまま ⇒ 器が「狐」から「人間」に変わっても、巴衛の本質は、「火」=「熱い想い」のままである。
「狐」がもっていた、葉っぱで外見(器)を変化する能力の代わりに、
「人間」がもつ、環境の変化にも対応し得るしなやかな心(=「本質」を変える能力)を手に入れた巴衛は、
作中で獲得した「一時の感情に流されない心」即ち、自制心(自分の中の「水」)とともに
「荒ぶる火」から「自由な火」に転身したのである。
第10巻第59話 |
「神様はじめました」考察 登場人物たちの「本質」とは 火、水、風、お日様、お月様
※ 言霊とは
言霊とは言葉のもつ不思議な霊力。発せられた言葉には霊力が宿り、その言葉を発すると言葉通りのことが実現する。良い祝福の言葉を発すれば良いことが起き、悪い呪いの言葉を発すれば悪いことが起きる。言葉は単なる伝達手段だけではなく、発せられた言葉に物事を実現させる霊力がある。
自分の「心」に素直に向き合い、理解するのも、他者の「心」にそれを伝達するのも「言葉」である。巴衛が言葉をおろそかにするのは、「心」をおろそかにしているのだ。言葉に力が宿るのだから。
※ 名づけ
命名も、言霊思想がある。子供が生まれ、人の親となる。子供の幸福を心底願って命名する。暗い、不吉な、不幸を連想するような名前は選ばない。子供が幸福になるように、明るい響きのある、縁起のよい、名前を選んで命名する。その名前を背負って生きていく子供が、言霊の力で名前に見合った人間になると願って命名するのだ。
現代でも、名前は親から子どもへ与える最初のプレゼントである。食べさせることと同様、原初的愛情表現だ。
奈々生が式神に名前を付けた一連のやり取りはこれ。奈々生がみんなを守りたいという愛を込めて名づけた式神「護」は、まさにその名にふさわしい働きを見せるが、本作で名前がいかに重要な意味をもつかということも示す。