本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
「人の痛みのわかる狐でしょ!」(第16巻第93話)
「巴衛は…悪羅王とは違う 人の痛みのわかる狐でしょ!」(第16巻第93話)
奈々生の言葉により、巴衛は「人の痛みがわかる狐」である自分を自覚した。
世界は自分の認識でできている。全ては認識することから始まる。
自分の心を言語化することによって説明することができるようになる。
言葉に力が宿るのは、言葉が頭の中のもやもやとした感覚を具象化する力を持っているからだ。まさに古代の人々がよくわからない自然現象を説明するために「妖怪」と言う概念を生み出したように。言葉で説明することによって私たちはさらにその先に進むことができる。
過去の巴衛は、奈々生の言葉により、「人の痛みをわかる」自分に気がついたのだ。
おそらくこの時から巴衛は人間を殺さなくなったはずである。
家に火をつけようとした助を見ても、「虫ケラ」と思うだけで、殺しはしない。
奈々生は現代の神使巴衛を思い出して過去巴衛に「巴衛は人の痛みがわかる狐でしょ」と言ったのだが、現代の神使巴衛が奈々生の前で殺生を控えるのは奈々生が過去で発した言葉のおかげである。
かんざし同様タイムトラベルものの面白さである。
※ 言霊思想とは
古来、神道には「言霊思想」がある。口に出した言葉が現実に何らかの影響を与える霊力を持っているとする考え方だ。音声としての言葉が現実化していく。「祝詞(のりと)」を奏上する場合も誤読のないように注意を払った。
現在でも、結婚式の席における「別れる」とか「切れる」といった言葉や、受験のときに「落ちる」という言葉を使わないようにするのも、このような言霊の信仰に由来している。