奈々生の家系の短命問題
「あの女の血は短命の種 本来なら自然界で普通に淘汰されただろう血族だ」(第17巻)
という黒麿の説明からすると、短命問題は生物学的なもので、呪いも悪縁も関係なさそうだ。
ミカゲ「奈々生さんはまだ死ぬような人ではありません」イザナミ「本来はな」(第22巻第130話)
第22巻第130話 |
奈々生自身の本来の寿命は長い設定なのだ。
それは、奈々生の精気を奪った霧仁が元気になった様子からも伺える。
「お父さん似かと思ってた」
第25巻第147話 |
前の世代から次の世代への承継
本作では、前の世代から受け継いだものも重要アイテムである。祖先を大事にする日本古来の神様との向き合い方に即したものである。
奈々生は「お母さん似」で美少女な設定である。実のところ、彼女の容姿は先祖である雪路とそっくりという設定であり、先祖代々美人なのである。
また、奈々生は、母親から、「笹餅」を受け継いだ。生きる上での指針だった、「1人で太る」も、図太さも、奈々生が母親から受け継いだものだ。
女系、男運の悪さなどもいわば先祖から受け継がれてきたものだ。また、雪路から受け継がれた龍王の眼もそうである。
そして、ミカゲからの土地神の印の承継も、実は大きな意味があるのだ。おそらく、奈々生とミカゲの神としての類似性は、ミカゲから土地神の印を譲り受けたことが影響しているのだ。
これほどまでに前の世代から受け継いだものを大事にする世界観である。奈々生がお父さんから受け継いだものが皆無なわけはあるまい。
どれをとってもいいところがなく、また、奈々生と似ているところも伺えない父親であったが、一つだけ、生命力の強さだけは、奈々生に受け継がれたのであろう。そのように解するのが自然であるし、十二鳥居での奈々生の「お父さん似かと思ってた」という台詞の回収にもつながる。
作品テーマから見た場合
しかし、「間近に迫った死に向き合って自分の本当の願いを見出す」というテーマは、霧仁一派との関連で、作中で描きつくされている。敢えて再び奈々生を短命にする必要はない。
大体、奈々生が早逝したら500年間待った巴衛が哀れすぎる。いくら人間になって忘却能力を得たとしても。人間になっても相変わらず記憶力抜群だ。すぐに奈々生が死亡してしまったら、ハッピーエンドにならないだろう。
また、奈々生は「お日様」である。太陽は生命力の源だ。であるからにして、「お日様」設定の奈々生が儚く散ってしまったら、それは奈々生の「お日様」設定ともそぐわないのである。
「沖縄から戻ってずっと体の中に冷めない熱がくすぶり続けている 人神の精気はこの体にはなじむらしい」(第21巻第121話)
三つ藤巴
下界の邪気にさらされない
まとめ
※ 太陽は生命力の源
人間の生命活動に必要なエネルギーの源は、太陽の光エネルギーである。
生きているとは、エネルギーが流れている状態である。
全ての生物は、常に外界からエネルギーと物質を取り込み、それに近い量のエネルギーと物質を体外に放出するという、動的平衡を保って生きている。生物はエネルギーと物質の流れの中に存在している。
太陽の光エネルギーを使い、植物が光合成を行い、有機物を合成する。
動物は、呼吸によって取り込んだ酸素を使って細胞内で有機物を分解し、エネルギーを取り出す。
生命活動に必要なエネルギーであるATPの源は、太陽の光エネルギーである。細胞の中で酸素を用いて、酵素が有機物を分解し、そこからエネルギーを取り出すしくみが呼吸である。