25.5公式ファンブック |
概要
巴衛と奈々生が結婚して二人でミカゲ社を出てから「もうすぐ10年」という設定だ。
時期的には、第25巻最終話で二人が生まれた子どもと一緒にミカゲ社に帰還する前である。
綺羅羅(きらら)(転生した悪羅王)と巴衛、奈々生は遊園地に遊びに行く。かつて奈々生が巴衛と一緒に観覧車に乗った遊園地である。
落ち着いた巴衛と奈々生
冒頭、巴衛が奈々生を起こすシーンからスタート。巴衛は相変わらず細かくてきっちりしている。
二人とも寝るのが遅かったという会話。深読みすると、前夜は甘い夜を過ごしたのだろう。
巴衛がさりげなく奈々生のワンピースの背中のファスナーを上げてあげるところにドキドキした。10年経ってもラブラブのようだ。
奈々生の雰囲気は、高校生の奈々生と比べて、随分変わっていた。物語の冒頭と終盤を比べても相当変化したが、10年という歳月の経過が更に彼女を変えたようである。
奈々生は随分と大人びており、落ち着いていた。すっかり大人の女性になっていた。
外見、雰囲気も、別人のようである。雪路とも、奈々生の母親とも違う。奈々生だと言われなければ別人だ。
「能天気」だった彼女の面影は、笑顔にしか伺えない。そこが彼女の「本質」だからだろうか。
一方、巴衛のほうは人間になって10年経過したはずだが、それほど変わらないようにも見える。
巴衛は人間になっても奈々生を大事にしていた。
幸せなのに心配している奈々生
楽しい遊園地のはずだが、奈々生の気持ちはどこか沈んでいる。
奈々生は、人間になった巴衛が人間になったことを後悔していないか、心配しているのだ。
楽しかった過去の思い出(観覧車にのって巴衛がかんざしをくれたとき)を振り返り、今の巴衛がどう感じているか悩んでいる。
あんなに深く結ばれても、奈々生が心配していて、能天気に幸せムード満開、ではないあたりが深くささる。
やはり、奈々生の心の底には、あの孤独で小さな女の子が隠れていて、たまに出てくるのではないだろうか。
そんな奈々生の言葉に乗せない不安を、巴衛は見抜き、「言葉」でフォローしている。
巴衛は人間になって「もう永遠に独りじゃない」「幸せだよ」と言ってあげるのだ。
巴衛にとっては恋の成就とは「共に生きること」だった(第25巻)。まさに、そのことが凝縮されているエピソードだ。きちんと結婚した後の二人の様子を描いてくださって、良かった。
「巴衛は巴衛のまま」
巴衛=狐火=狐(器)+火(本質)
「巴衛は巴衛のまま」というのは、つまり、器が「狐」から「人間」に変わっても、巴衛の本質は、「火」=「熱い想い」のままである、ということだろう。
「狐」がもっていた、葉っぱで外見(器)を変化する能力の代わりに、
「人間」がもつ、環境の変化にも対応し得るしなやかな心(=「本質」を変える能力)を手に入れた巴衛は、
作中で獲得した「一時の感情に流されない心」即ち、自制心(自分の中の「水」)とともに
「荒ぶる火」から「自由な火」に転身したのである。
同じ目線でみるとは
新しい生命が宿るのは
最終巻である第25巻では、奈々生が妊娠し、男の子を出産した。
第25.5巻で描かれた後日談では奈々生の妊娠している様子はないから、時間軸としては、最終話の前の時期である。
本作品で繰り返し描かれていたのが、「弱くても助け合い、想い合い、次世代へ命を繋ぐ人間の強さ」だった。そういった人間のあり方を巴衛が受け入れていること、そしてその状態で幸せを感じていることを奈々生が実感できたからこそ、新しい命が宿ったのかもしれない。
あみちゃんの恋
あみちゃんはまだ鞍馬を待っている。
奈々生を待つ瑞希
瑞希もまた、奈々生と再会する「その時」が来るのを待っているようである。