※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
今回の考察内容
巴衛が「荒ぶる火」だったことをうかがわせるエピソードを紹介したい。同時に、奈々生が神様として成長を遂げていたことも指摘したい。
「この台所の火器は全部狐火仕様なんです 悪いのは巴衛君です」(第21巻第121話)
第21巻第121話 |
「この台所の火器は全部狐火仕様なんです 悪いのは巴衛君です」(第21巻第121話)
これこそまさに、巴衛の本質が「荒ぶる火」であることの象徴である。
巴衛が自分の役割(=ご飯を作って奈々生に食べさせる)を独占していたということだ。
狐火仕様の台所なら巴衛しか使いこなせない。
巴衛は、そうやって、瑞希や奈々生自身に料理させないでいたのだ。
巴衛の奈々生に対する独占欲の表れでもあり、「荒ぶる火」だということだ。
他者に火をコントロールさせたくない。すなわち、自由な火でありたいのだ。
「自由狐」という言葉の力点は「自由」にある。
「野狐」という言葉の力点も「野」にある。
巴衛の本質は「荒ぶる火」なのだ。
「火事!!」
「火」本人しか使いこなせない台所は人間にとっては利用できず「荒ぶる火」
火事の原因にもなりうるし、危なくて触れない。
第21巻第121話 |
火は、「制御された火」になってこそ、人間に御利益をもたらしてくれるものだ。
「災い転じて福となす」
炎上したら水をかければ消せるけれど、消火したら結局調理家電として使いこなすことができない。
人間社会で生きてもらうためには、火が自ら制御されたものになってもらわないと困るのだ。
即ち、瑞希(水)がいなくても巴衛(火)が自分で自分を鎮められるようになる必要があったのだ。
巴衛と瑞希の役割分担
巴衛が奈々生に料理を作っていたのは、愛情表現であると同時に、彼の本質が「火」だから。
「火」で料理する。
古来より、「火の神様」は台所の神様でもあった。
自分の得意技を発揮できる場所で奈々生に尽くしていたともいえる。
お風呂を沸かすのも火の神様のエリア。
だからお風呂を沸かしているシーンもあったけどそれ。
火だからこそ家事全般担当。
瑞希(水)は浄化担当。だからお神酒を作っていた。
水神は縁結びの神でもある。だから瑞希は奈々生と巴衛の恋の成就もサポートしていた。
瑞希が巴衛を見守り、巴衛が瑞希を邪魔に思うのは水が火を消す役割を担うから。
水は火を消し、火は水を蒸発させる。
相反する関係だけれど水と火で力を発揮する。
料理、風呂、蒸気・・・
二人は対の関係で切っても切れない。
二人ペアでこそ最大限の効能を発揮する。
「君は優秀です」というミカゲの台詞の真意は?
第21巻第121話 |
奈々生が狐火仕様の台所を使いこなせず落ち込む姿は、「荒ぶる火」を鎮めきれずに落ち込む神様の姿であり、俯瞰すれば、巴衛を制御しきれず、再び彼の暴走をゆるしてキツネ姿になる事態を防げなかったことを憂うものである。
第21巻第121話 |
「君は優秀です」というミカゲの台詞は、奈々生の神としての成長を認めるものだ。
この直前、奈々生は真っ赤な空を見て不吉な予感を感じている。まさにミカゲが感じたものと同一の不安を感じているのである。
第21巻第121話 |
同じタイミングで瑞希も奈々生の成長を認めている。「奈々生ちゃんは強くなったよ 最初にあった時よりもずっとずっと」と言葉をかけ、奈々生の神としての成長を認めた。この瑞希の言葉は、その後夜鳥と対峙する奈々生に勇気を与えた(第21巻)。