2020年10月19日月曜日

「神様はじめました」考察 奈々生の家系の呪い(女系、短命、男運の悪さ)は解けたのか?

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。

※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。



奈々生の家系の呪いとは



奈々生の母によると、奈々生の母方の家系は、代々女の子一人だけを産み、男運が悪い、ということであった(第11巻第62話)。

「うちは代々女系で何故か女の子一人しか生まれない 奈々生のおばあちゃんも曾おばあちゃんも皆そうだったわ」
「昔々 ご先祖様が神様から美人になる薬をもらって飲んだんですって それから代々うちは可愛い元気な女の子が一人だけ生まれることになったの」
「ただ残念なことにうちの家系は…代々何故か男運が悪い!! 男で苦労する家なのよ・・・!!」(第11巻第62話)

また、短命の点については黒麿の台詞であった。

「人間には持って生まれた寿命がある あの女の血は短命の種 本来なら自然界で普通に淘汰されただろう血族だ それを龍王の目が代々補ってきた 親から子 子から孫へと長い時間をかけて 今のお前へと伝わったんだよ」(第17巻第99話)

まとめると、奈々生の家系には、①短命、②女系、③男運が悪い、という3点が特徴である。

奈々生の家系の呪いは解けたのか?


上記3つのうち、女系については、解消されたことが作中で明らかにされている。
奈々生と巴衛の間に生まれたのが男の子だったのだ。

一方、短命と男運の悪さについては、はっきりしない。

そもそも、元々短命の血族であったのと、女の子一人だけ産むというのは、実は一体ではなかったとも考えられる。

龍王の目を次世代に受け継ぐには子どもが女の子である必要がある、だから女の子ばかりが生まれることになった、のかもしれない。

そして、奈々生の代で龍王の目がなくなった以上、子孫に受け継ぐものもないから男の子が生まれたのかもしれない。

したがって、男の子が生まれたという一事をもってしては、奈々生の家の、短命と男運の悪さについては、解消されたかハッキリしない。

男運の悪さについて


「男運ではない、見る目が悪いのだ」は正しいのか?


巴衛は、「男運ではない、見る目が悪いのだ」(第11巻)と意見を述べている。

しかし、巴衛は奈々生の家系に連なる女性たちの生き方を見てきたわけではないのだから、彼の台詞は、「結婚しないわ 絶対」と言っている奈々生の心を変えたくて言っただけであろう。

「男運の悪さ」というと逃れられない外的要因に感じるが、「見る目が悪い」となると、ただのマインドの問題であり、良縁自体はあり得るという話しになるので、結婚の可能性も開けるのだ。

実は、この巴衛の台詞は、ブーメランである。後述するように、巴衛を選んだ奈々生は「男を見る目が悪い」。

なぜ男運が悪かったのか?


男運の悪さの原因については描写されていない。おそらく、「悪い男」に絡まれやすく、また、「悪い男」であっても優しくしてしまうことではないかと思う。

思えば奈々生は現在でも過去でも、駄メンズに絡まれている。「悪い男」でも見捨てない。典型が霧仁である。あんなにひどいことをされた霧仁ですら、逝った時は憐れんでしまっているのだから。また、第24巻では経済力のない男を自分が養う、と意気込んでおり、これも不幸を呼び込むマインドだ。



「男運の悪さ」は解消されたのか?

「男運の悪さ」は解消されたのか? これはつまり、巴衛が「いい男」なのか? ということだが、実は巴衛もある意味「悪い男」である。少なくとも物語後半までは。

巴衛は悪羅王・夜鳥編まで、以下のような男である。(詳細は 「神様はじめました」考察 物の本質をみる(1) 「私欲に囚われず心眼でモノを見られるかどうか」 巴衛の行動の不可解さの正体は

  • 「人間は虫けら」であり、もろく壊れやすい存在であるという価値観。壊れやすいから、壊れてほしくないから、何よりもまず「体」(器)を大事にする。そのため愛情表現は「食べさせてお腹を満たすこと」。言葉ではなかなか愛情を伝えない。
  • 体(器)を大事にするあまり、物事の本質を見ることができない。奈々生の「神」としての本質を認めない。奈々生と別人を区別できない。
  • 「心」に疎い。自身の心にも無頓着であり、誰かに指摘されないと自らの気持ちに気づくことができない。
  • 奈々生に対して重たい愛を抱えており、それは恋を超えてもはや執着である。嫉妬深く、独占欲が強い。交際する前から他の男を排除し囲い込んでいる。時には奈々生の「意思」を軽視してでも危険からとにかく引き離す。


このような男が、果たして「いい男」と言えるのか?

彼が「人間は虫けら」という価値観を改め、人の「心」に寄せるようになるのは、悪羅王・夜鳥編終盤なのだ。

それまでは巴衛もある意味「悪い男」だった。500年前も今も。

むしろ、本作品は、「巴衛と霧仁という二人の『悪い男』を奈々生が周りの助けを借りて更生させた物語」と言えるかもしれない。


十二鳥居編では、巴衛が理解しなければならないことがきちんと描かれている。

  1. 人間の「心」の複雑さ、ありよう。
  2. 「物」ではなく、自分の「心」を理解して、「言葉」で伝えること。

このとき、たしかに巴衛は理解して、小さな奈々生に素直に気持ちを伝えたのに、鳥居を出た瞬間、また元に戻ってしまった。

金の招き猫をもらう回(第24巻第143話)は実質、十二鳥居編の高校生奈々生版である。ここでも巴衛は奈々生を笑顔にするため様々に尽くし、また、素直な気持ちを言葉で伝えて、奈々生に心を寄せている。

ようやくこの時点で巴衛の変化が見える。

なお、連載終了後に描かれた25.5巻の番外編では、奈々生の言葉に乗せない心の不安を感じとって気づかう巴衛の姿が描かれている。彼の変化を知ることができるエピソードだ。

「短命」問題は解消されたのか?


短命については、別記事でまとめた。
結論だけ見れば、雪路から奈々生の母親まで続いた「短命種」問題は奈々生の代で解消されている。