本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
悪羅王と巴衛は自然現象の具象化
散々悪さをした悪羅王や巴衛は、いわば「荒れすさぶ嵐」や「荒ぶる火」であり、自然現象なのである。悪羅王も巴衛も、自然現象の具象化された存在である。
悪羅王の 「どんなでかい妖もどんな硬い妖も俺とお前の前では等しく崩れ落ちた」(17巻)という描写はまさに荒ぶる自然のもたらう脅威そのものだ。
出雲の大国主が憂いて討伐しようとしたのは、荒れ狂う大自然の驚異の前に、昔の人々が神様の助けを求めたことの象徴である。
「妖と人とでは根本的に祖が違うのですから進化の水を飲んだところで交わりませんよ」(第118話)というミカゲの台詞も、妖の祖は「自然現象」だからだろう。
巴衛の祖先はいわば「原初の火」「荒ぶる火」である。火がどんなに進化しても、鎮まったとしても、「火」のままでは「人」にはなりようがない。
また、巴衛や悪羅王がこの物語において果たした役割を帰納的に解すると、巴衛のルーツは火の神様であるカグツチに、悪羅王のルーツは嵐の神様であるスサノオに求められる。
和魂と荒魂と妖怪
日本の神という概念は、和魂と荒魂という二面性を持っている。
和魂とは雨や日光の恵み、加護のことであり、荒魂とは天変地異や疫病といった祟りのことである。
原始の神とは、大自然の摂理そのもののことで、この摂理が持つ二面性が、のちの怨霊信仰へと繋がってゆく。
元々神道は太陽などの自然を神と仰ぎ、自然現象などにその霊力を感じ取ってきた。自然は日々の恵みをもたらすと共に、時に、風水害、落雷、地震、など大規模な災害をもたらす。
そのような自然の姿が、古代の人々の神への信仰に大きな影響を与えた。
人々に不利益を与える面も、荒魂としてお祀りしたのは、厳しい自然現象からも、神のパワーを感じたからだ。
荒魂を和魂に変える手段が「祭祀」であり「鎮魂」であった。
元々は妖怪的存在とは荒魂のうち祀られなかった、祀ることに失敗した、もしくは祀り捨てられた存在に求めることができる。
もっとも、時代の進行に伴い、超自然現象ではなく合理的に説明できる事象の範囲が著しく増加していく。同時に、妖怪を盛んに絵巻や絵として造形化することにより見た目の固定化、キャラクター化が進み、畏れは和らぎ、時代の流れとともに妖怪は娯楽の対象へと移り変わっていく。娯楽化の傾向は中世から徐々に見られ始め、江戸時代以降に決定的なものとなる。
巴衛と悪羅王のルーツ
荒魂・和魂の考え方や妖怪の歴史を参考にすると、
巴衛は、火の神様カグツチの荒魂の祀りそこなった部分が妖怪となって具象化したと言えるのではないか。
整理すると・・・
【古代の人】 荒ぶる火⇒「火の神様」(カグツチ)と認識⇒祀りそこなった部分が巴衛(火の妖怪?)に
【中世の人】 妖怪を絵巻物等で描写するように⇒巴衛、見た目(器)が人間に近い形に。
「器」は人間に近くなったものの、本質は「荒ぶる火」のまま。だってもともと自然現象だから。
そこへ、500年前に奈々生(桃、神)が登場し、浄化の種をまく。
【現代】 本質は「荒ぶる火」であり、その心の情景は「火の山」そのもの。
(麓から見る火の山はまるで天まで届く炎の壁みたいだ)(第23巻第135話)
悪羅王・夜鳥編で描かれた、天まで燃え盛る炎の壁のような「火の山」は、まさに当時の巴衛の怒りに燃える「心」の情景を象徴するものである。巴衛の本質は「荒ぶる火」であり、古代の人々が恐れおののいた自然現象が「妖怪」という「言葉」で具象化されたものなのだ。
第23巻第136話 |
⇒奈々生により浄化され、「鎮められた火」となった。
⇒心も「人間」に近づいた
火の神様の生まれのエピソードは猛々しいが、正しく祀られた火の神様のご利益は、火に関すること、そして、火は物を生み出すことから、産業の神様としても崇められているし、金運・招福のご利益も有名だ。
浄化が完了した巴衛は数々のご利益をもたらす存在となっていることが伺われる(後述)。このことからも、やはり、巴衛のルーツは、火の神様にあると考えてよいのではないだろうか。
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悪羅王も「嵐の神様」(スサノオ)の荒魂の祀りそこなった部分が鬼になって暴れていたのだろう。
だから、巴衛や悪羅王に誕生日などないのだ。
だって、自然現象はそれこそ人類が地上に誕生する前から存在するのだから。
「お前が金銭に憂いていれば俺が賄うだけのこと」(第24巻):制御できるようになった「火」のご利益とは
このときに流れた血や火の神の身体から、また神々が生まれる。鉱山、農耕、工業などの生産にかかわる神々だ。
このため火之迦具土神は古来、金運や招福、あるいは防火の神として篤く信仰されている。
火の神様のご利益は、火に関すること、そして、火は物を生み出すことから、産業の神様としても崇められているし、金運・招福のご利益も有名だ。
巴衛は物語の終盤、寝込んだ奈々生の代わりに行ったバイト先で難なく仕事をこなしている。また、金の招き猫をもらっている。
第24巻第143話 |
巴衛は営業職で働いているようだ。営業職は人と関わる仕事である。巴衛は感情をコントロールできるようになったことで、仕事でも成功したのだ。
金運・仕事運はバッチリのようだ。
「荒ぶる火」の妖怪だった巴衛は、鎮められ、ただしく祀られたことによって、御利益もたらす「火の神様」に変わったのだ。
「器」は人間になったけれど、巴衛の「本質」は、人々に御利益をもたらし、奈々生を幸せにする、「火の神様」になったのである。
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奈々生の家系は男運が悪く、奈々生の母も奈々生も、ダメ父のせいで経済的苦境に陥る。が、制御できるようになった「火」のおかげで、少なくとも、経済的には、奈々生の家系の「男運の悪さ」という呪いは解消されたようだ。
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巴衛は大妖怪。
神使契約がなければ出雲の偉い神様である戦神も吹っ飛ばしてしまうくらい強大な妖力をもち、生命力も人間をロウソクに例えた場合の灯台並み。
こんな巴衛はやはり「荒ぶる火」(自然現象)であり、神話の「火の神様」(カグツチ)の荒魂の祀りそこなった部分だと考えても矛盾しないと思う。