2020年10月12日月曜日

「神様はじめました」考察 「何かの延長線上」 始まりの時【10月12日更新】

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。
※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。
※ 単なる個人による感想・考察です。
※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


「何かの延長線上」

「人の縁って一本の糸なんだね それが色んな人の縁と繋がってるんだね」
「縁が縁を結んで伸びてく 全て過去から繋がってきたものよ みんな段階を経てめぐり合うの あんたがこうしてアタシと口きいてんのも何かの延長線上ってわけね」
(第8巻第48話より)

「神様はじめました」の世界では、登場人物が過去に行った行為が、まわりまわって現在の状況に影響したのではないかと思わせる描写がいくつかある。

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【巴衛と毛玉(夜鳥)】

毛玉を最初に疎んじたのは過去の巴衛である。その後、毛玉がいわば闇堕ちし、雪路の死や悪羅王との訣別にもかかわっていく。夜鳥による一連の暗躍の展開は、元々は巴衛の「悪臭がする」の一言が始まりだったかもしれない。
「特にお前 悪臭がする 俺の近くには寄るな」(第14巻第83話)
悪臭というのは、どういう意味だろう。

「甘い匂い」とは、桃(奈々生)、トクトクの木に使われた表現であり(第11巻)、「邪気を祓う清らかなもの」を指す。したがって、以下の通りと考えられる。
甘い匂い=桃・トクトクの木=邪気を祓う清らかなもの
悪臭=塵芥=無価値なもの。邪気・ケガレ
巴衛が毛玉に感じた嫌悪感の元凶は、毛玉が放つ闇夜のケガレ、邪気そのものである。


世界は自分の認識でできている。全ては認識することから始まる。自分の心を言語化することによって説明することができるようになる。

言葉に力が宿るのは、言葉が頭の中のもやもやとした感覚を具象化する力を持っているからだ。まさに古代の人々がよくわからない自然現象を説明するために「妖怪」と言う概念を生み出したように。

過去の巴衛は、奈々生の言葉により、「人の痛みがわかる狐」である自分を自覚した。

同様に、巴衛が発した言葉は、いわば言霊となり、毛玉をして本当に「無価値」であり「邪気を放つもの」と認識させてしまったのだ。ここに闇夜の化身「夜鳥」の原型たる「毛玉」が誕生する。その本質は、自分自身すら捨ててしまう自己否定にまみれた闇夜そのもののケガレである。

巴衛だけでなく周囲の反応もそんな感じで、だから益々毛玉は自己否定に突き進んでしまうのだが、毛玉と巴衛の一番最初の邂逅であの台詞をもってきたのは、それもまた一つの「始まり」だったということだろう。

火の山で巴衛が夜鳥に対して、貴様が勝手に気を病んだだけだという台詞があるのだけれど、自らが毛玉にかつて「悪臭がする」と言ったことを忘れてるのか、そこに遠因があると気づいていないのだろう。


【悪羅王・巴衛の500年の孤独】

悪羅王や巴衛が味わった500年間の孤独も、いわばそれまで彼らが人間たちを蹂躙した悪行の結果かもしれない。


【奈々生の家系の呪い】

奈々生の家系の呪い(短命、女系、男運の悪さ)も、かつて雪路が巴衛に対して行ったことの結果かもしれない。出産の為という理由があったとは言え、雪路が奈々生に恋する巴衛の心を頼り、保護を受けた行為は結果的には巴衛を利用したわけだから。

【奈々生と巴衛】

奈々生の片想いの期間が長かったのも、巴衛の人間アレルギーのせいだが、それはある意味、過去で奈々生が行動したことや先祖である雪路の行動の結果ともいえる。

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仏教では、因果応報という考え方がある。人の行いの善悪に応じてその報いも善悪にわかれるということだ。神様の世界は一応仏教と分けておきたいが。

因果応報とも勧善懲悪とも違うが、やはり、登場人物たちの過去の行いが現在に影響したというのは、神様の世界では「縁」と説明できるかもしれない。

良いことも悪いことも含めて、「何かの延長線上」なのだ。

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「巴衛にはいつか清算せねばならないツケがある」(第17巻第100話)

「ツケ」とは、直接的には、黒麿との契約で被った呪いである。

しかし、俯瞰すれば、毛玉に対してかけた言葉を含む、巴衛自身の一連の過去の行いとそれにより発生したケガレを指すのだ。

「かんざし」を取り戻し、呪いから解放された巴衛は、いわば人間アレルギーを克服し、奈々生と晴れてお付き合いをスタートすることができた。

そして、「火の山」で一時の感情に流されず道を間違えないですんだことにより、巴衛を闇側に引きずり込もうとする夜鳥の謀略を跳ね返し、負の感情=ケガレを自ら祓うことができ、「神寄り」になった。

そのいずれも、巴衛を救ったのは奈々生である。

それは、奈々生が「お日様」であり、日の光で闇夜のケガレを祓う力を持っているからだ。

奈々生は、闇夜のケガレを祓い、清め、過去の悪い縁を断ち切り、良い方向へ変えたのだ。

ハッキリとした描写はないが、奈々生の家系の呪いも解けたのかもしれない。
最終話で男の子が生まれているのはその表れだろう。

だからこそ、奈々生は「優しい女神」なのだ。



奈々生と巴衛の縁


(行こう これは深い深い絆の約束 一本の縁が巡りあって結びついて絆になる それを見届けてもらうために さあ皆で行こう 始まりの社へ 縁の糸を紡ぐ土地神の庭へ ここで全てが始まり新しい未来がまたここから始まる)

(第25巻第148話)



奈々生の先祖・雪路を助けたのは巴衛であり、巴衛がいなければ奈々生は生まれなかった。
巴衛が雪路を助けたのは、奈々生が過去に時廻りして巴衛と出会ったからである。
奈々生が過去に時廻りをしたのは、黒麿との契約で呪いが発動した巴衛を助けるためだ。
巴衛が黒麿と契約したのは、やはり奈々生が過去に時廻りして巴衛と出会ったからである。

やはり、奈々生と巴衛の縁はとても強い。


始まりはどこだったのかというと、やはり、ミカゲ社で巴衛と奈々生が出会った時だろう。
あそこからすべてが始まったのだ。

だから「始まりの社」なのだ。

第1巻第1話

そして、巴衛と奈々生が結婚して二人で社をでることにより、「新しい未来がまたここから始まる」のである。