2020年10月18日日曜日

「神様はじめました」考察 十二鳥居に表れた奈々生・巴衛・瑞希の関係性 三つ巴の関係性の見直し

本記事は、『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊)を考察するものです。

※ 作品の登場人物や内容に言及があります。ネタバレを含みます。原作漫画を未読の方は本記事を読まないことをお勧めします。

※ 単なる個人による感想・考察です。

※ 画像は全て 『神様はじめました』(鈴木ジュリエッタ著、白泉社刊) より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。


十二鳥居に表れた奈々生・巴衛・瑞希の関係性


十二鳥居は奈々生の過去の記憶を舞台に、それぞれがそれまでの記憶を整理し、夢として見ている。本物語における、巴衛、瑞希、奈々生の関係性を映す鏡だ。

十二鳥居にいる小さい奈々生は、高校生奈々生が小さい頃の記憶を追体験している。

巴衛が奈々生の過去を知りたがってそのまま奈々生に過去の辛い記憶を体験させるのは、本質において彼女の心を無視するものであり、酷いのだ。

だからこそ瑞希は見ていられないといって奈々生に手を差し伸べる。

でも奈々生は瑞希の手を取らない。まさに物語における、巴衛、瑞希、奈々生の関係性を表している。

巴衛の「愛と自由」への強すぎる欲求に起因する気遣いのなさ(いわばエゴ)により、奈々生が傷つき、瑞希が助けようとし、でも最終的に奈々生は巴衛の手をとってしまう・・・

瑞希の優しさと報われなさに泣ける。

なぜ奈々生が巴衛に手を差し伸べ続けるのか?


やはりそれは巴衛を「家族」認定したからであり、彼を助けることで自らの意思を実現するとともに、彼の願いも支え、彼の意思を実現することに、彼女が喜びと自己実現を見出しているからだろう。

言うなれば、巴衛のいう通り、奈々生は「男を見る目がない」のだ。つまり、あの巴衛の台詞は、巴衛自身に対するブーメランなのだ。

きっとあのお母さんがあのろくでもないお父さんを選んでしまったように。「思いやり」が強くて「助けたい、支えたい」という優しい気質に溢れた家系なのだ。

誰よりも意思を大事にする彼女が、25巻中ほぼ24冊に渡って自己の意思を軽んじ続けた相手を愛し続けるのは、彼女が巴衛の変わる可能性に賭けたか、男を見る目がないか、母性本能が相当強いからだ。

或いは真のヒロインが巴衛(姫太郎)であり、少女漫画の御都合主義的ヒーローを体現するのが奈々生(桃太郎)だからだ。



三つ巴の関係性の見直し


巴衛を「家族」認定し、心配し、手を差し伸べ続ける奈々生、それに対して、俺は「自由」でありたいとその手を払いのけるも結局奈々生を求め続ける巴衛。反抗期の息子のようだ。

この二人のあり方の本質は、巴衛の本質をどう見るか(ちび巴衛か、幼気な狐か、荒ぶる火か、『桃太郎』のお姫様か)にかかわらず、対等な恋愛関係にあるとは言い難い。

巴衛の自由への強い欲求と奈々生の強い意思は、それぞれが強いが故に、ぶつかり合い、時に混ざり合い、美しく輝く。まさに沖縄で描かれた、夜空に光り輝く花火のようなあり方だ。

沖縄の花火をそのままだと見ていられなからと海面に映るものを見る瑞希の姿から浮かび上がるのは、そのままにしておくと痛々しくて見ていられない二人の恋、そして奈々生が傷つかないよう守っていきたいという彼の優しさの象徴だ。

花火が一瞬で消えるように、二人の恋に内在する危うさも暗示する。

それをミカゲや瑞希が中和していたのだ。瑞希は奈々生を癒し、ミカゲは巴衛を癒すことで。

しかし、常に第三の仲裁が無ければもたない関係性というのは実に脆い。まさに花火のように刹那的だ。

であるからこそ、火の山後に関係性が見直しされて、いろいろ環境を変えるのだろう。

根本的には、それぞれが失ったものを相手にみたことが遠因であろう。巴衛は失った「愛」を埋めたミカゲの果たしてきた「よりどころ(保護者)」を、奈々生は失った「家族」を。かつ、巴衛が「意思」を軽視するが故に、すれ違いがあっても「言葉」で理解し合えず、第三者の仲裁を要したのである。

巴衛が火の山でいろいろなものの本質をみた結果、最終章で見直しがされたのだ。

  • 器ではなく心が大切であること
  • 自由の本質とは精神性の自由にあること
  • 精神性の自由のためにはずっと一緒にいる約束のアップデートも必要であること
  • 誰かの仲裁がなければ継続しない恋愛関係は対等でも永続的でもないこと。


神と神使の契約を早く辞めたい理由


精神性の自由を制約される契約関係に「自由」はないことを巴衛が認識し、「自由になりたい」からだ。

お互いに夢を見ていたことの理解

巴衛と奈々生がそれぞれの大事にするものの価値を理解し、お互いにそれを実現したがっていたことを知る。


巴衛が最後の求婚をした意味

そもそも過去編終了後に巴衛とななみはお互いに婚約関係が有効であると確認している。二人が婚約関係にあることは奈々生が再び訪れた鞍馬山での会話からも明らかである。

にもかかわらずなぜ再び沼皇女の目の前で巴衛は結婚してくれと言うのか?

それは言葉による自由意志の表明と合致がなかったからだ。

本質的には巴衛にとっての「ずっと一緒にいる約束」は「神と神使の契約」だったのである。神と神使の契約には自由意志の合致がない。だからこそいろいろあって心が大事だと知った巴衛は、神使の契約を止めて結婚にアップデートしたのだ。そのための意思表示が最後のプロポーズをしたことの意味だったのだ。


ミカゲ社を出る意味

即ち、彼らが結婚してミカゲ社を出る意味は、巴衛のミカゲからの自立であると同時に奈々生の瑞希からの自立でもある。

奈々生との恋に傷つく巴衛をミカゲが癒し、巴衛との恋に傷つく奈々生を瑞希が癒していたという三つ巴の関係を解消し、巴衛と奈々生が二人で言葉で話し合い、相互理解に努める道を選ぶのだ。


10年後に社に戻るのは、奈々生が瑞希を心配させないくらい強くなったから。


おそらく巴衛は10年間人間社会でもまれて人間の心を学んだのだ。巴衛と奈々生の絆も強まり、瑞希が心配したような、巴衛の暴走により奈々生が傷つくリスクがなくなったということであろう。